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日記だよ

社員旅行みたいなイベントでツアーのバスに置いて行かれて山奥を彷徨っていたら、新卒たちを連れた知り合いの社長一行に拾われて、宴会に乱入して芸をすると言うひどい夢を見た。

 

暗い座敷にゴロゴロとひっくり返った若いのがむくりと起き上がっては口々に自己紹介するのだけど、みんな同時に喋るので聞き取れない。とりあえず、手近な一人のところに行って乾杯した。雇われている会社について話すと、「ショウヨウ、ムッてます?」と聞かれ、意味が分からず何度か聞き返した。「ムッてるって言わない?」「いういう」ってやり取りしてて焦る。ショウヨウはなに? 名前? 話が通じないな、となったら周りにいた人たちがじっとこちらをみている気がした。「ショウヨウ知らないの?」

macOS で USB オーディオの認識が怪しい問題に悩まされている

作業用の Macbook に USB オーディオでスピーカーを繋いでいるんだけど、これがよく音が出なくなる。音楽を再生し続けていれば大丈夫なんだけど、Music App と ChromeYou Tube とか、Spotify とか切り替えていると高確率で音が出なくなる。オーディオデバイスとして認識はされているしコンソールに特殊なエラーも吐かれていないように見える。でも音が出ない。

USBケーブルを抜き差しして再認識させると音は出るのである。なんで。

そして、抜き差ししていると、以下画像のように Bose USB Audio が増えていく。今まともな USB Audio デバイスがこれしかないので比較実験もできないので困っている。

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増殖するUSB Audio

新卒でエンジニア入社した僕が気をつけていること

というタイトルの記事をいくつか見かけたので便乗して書いてみる。

かれこれ15年以上はこの辺の界隈の仕事しているので、何を気をつけていたか、と振り返ってみるけど、まあなんか死なないように頑張ってきました、という感じである。そのときそのときで仕事を楽しもうとはしていたように思う。

今もなんとか生きているのは、楽しもうと言うマインドがあったからだろう。「圧倒的な」とか「努力」とか「何かを心がける」とかは特に思い当たる節がない。人に胸を張れる向上心みたいないいもんは持ってないが、代わりに機能してたのは天邪鬼精神とか好奇心だったのではないか。

大学卒業するまで、アルバイトとかを含めて「仕事」なんてことはしたことがなかったし、上京してから特に仲良く会話をするような他人も、実家との関わりもなかったし、本を山ほど買えるような収入でもなかった。仕事外の人間から得られる情報が少なかったので、仕事場で得られる情報にフォーカスして、まあまあ真面目に向き合っていたような気はする。

その結果、人月商売のSI下請け業では個人の技能向上といい感じに噛み合ってプログラマ・エンジニアの収入をあげるインセンティブはない*1なという結論になって、Webプログラマーとして転職するに至るのだけど、……いまプログラミングやシステム開発に興味を持っている人であればそのあたりのビジネスモデルからくる構造や業界相場など簡単に情報が得られるので、自分の頃よりは素早く戦略的に判断はできそうではある。

自分のことを考えると、判断が早かったからといって転職をすばやくしていたかというと、どうかな、という気持ちもある。

新卒で入社した会社には五年くらいいた。五年で見切りをつけたとも言える。人によっては、早めに判断をしたら、途中から現在の仕事ではなく未来の自分に必要なものを考えて学習に時間を使ったりするだろう。受験勉強みたいに。でも、自分はないだろうな、と思う。今必要なことでないとテンションがあがらないタイプなので、「今の仕事は限界があるので、将来の自分のために今勉強しよう」だなんて思うはずがない。結局、実務的な面での開発能力を中心に育てていっても社内で評価はこれ以上されないな、という感覚が発生するまでは転職はしなかったことだろう。面倒だし。つまり、情報感度とかキャリア意識なんてのは全くなかった。

ここまで書いていて、自分が気をつけていることって何かなって改めて真面目に考えてみると、「自分の持っている道具を整理する」とか「自分にできることは何か考える」ことは気をつけているかもしれない。値段をつけるのは他人なので、こちらとしては商品説明できてればええだろという発想である。これはまあまあ若手のうち、年収が低いうちの話であって、オッサンになってくると取り組む問題の難しさ、圧倒的な正確さとか速度とか量とか、あるいは相手よりも詳しく相手の問題について理解しているなど、売り込みポイントが必要になってくるとは思う。そういうゲームの変化も含めて、まあまあ楽しんで生きているので、最初に書いたように「そのときの仕事を楽しむ」は現在でもできてそう。

*1:ビジネスの根幹として高く評価する理由がない

感謝の package update

年が明けたので。

Mac

ソフトウェアアップデートをしておく。

Docker for Mac

まだプレビュー版を手動で入れている状態なので、リリースノート眺めておく。

brew update

brew update
brew upgrade

久しぶりにやってると忘れるけど keg-only と表示されるパッケージは /usr/local/bin/ 以下にシムリンクが勝手に作られない。必要に応じて brew lint <package-name> --force する。適宜パスを通す。

node

sudo n latest
ncu -g

必要なパッケージをアップデートしていく。

久しぶりにセットアップしていると気がつくけどパッケージ ncunode-check-updatesではない。毎回忘れて、毎回ひやっと(-g するために sudo してインストールしてるので)する。これオリジナルの作者は思うところはあるだろうな。

pip

python3 -m pip list -o

して必要なものを python3 -m pip install -U <package-name> していく。

macOS はまだデフォルトで 2.7 系がインストールされる。pythoh3 もあるため、どの環境に手を入れているのかは意識する必要がある。ここでは brew で突っ込んだ pythob 3.9 環境を対象にするので、なんか変だなと思ったらそっちを見る。

gcloud

gcloud components update

awscli

curl "https://awscli.amazonaws.com/AWSCLIV2.pkg" -o "AWSCLIV2.pkg"
sudo installer -pkg ./AWSCLIV2.pkg -target /

心の中の像と、心の中の像の姿

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「形の合成に関するノート」より。

ここでの「コンテクスト」は要求とか制約とか都合の集合体になる。

自覚されていないデザインの世界はコンテクストから実体を作る作業が自動的に決定されてる。そのあとの「こうであろうか」という想像を挟む段階がある。だいたい、ここまでが自然にやる・やってること。そのあと、心の中の像からその真の姿(抽象的な構造のみを残して偏見を取り除いた姿)を描くプロセスが想定される。

この図の解釈がパッとわからず何度か読み直したのでメモしておきます。