0xf

日記だよ

在宅勤務

日常業務には何も困ることはないのだが、セレモニー感や非日常感を出すのが難しい。これはなんでだろう、と思ったけど、同時性の問題なのかな。オンライン通話会議的なやつでだいたい同期的に会話ができているような気分でやってるけど、あれはやはり情報量が多いだけで非同期なのだ。その瞬間の謎の連帯感は生まれづらいに違いない。

 

むかしの映画「電車男」で、なんか主人公の男の人の背後にインターネット越しにいろんな人が声を揃えて声援を送る的なシーンがあったと思うのだけど、あれは幻想だとして、あの幻想を持てるかどうかが鍵なんだと思う。一人称として自信を持って「俺たち」と思えるかどうか。

 

対面の集まりと同じ効果を狙ってやるのは難しい。「俺たち」感を演出するのは、自動的にその場にいるだけでは足りなくて、同じ問題に頭を悩ませるとか、困ったときに呼びかけて誰かが答えるという経験とか、そういうことを繰り返す必要が多分あるんだろう。場に接続している感覚とでもいうのかな。

 

日常業務に支障はない、というのは、非日常についてはそうでもないということだと思う。日常に対して非日常が果たす役割は言語化しづらい。言語化しづらいものは対象化しづらい。だけど非日常についてもちゃんと考えていかないといけないかもなーと最近は思うのであった。まる。