ここでいう厳格さというのは規律への尊重と遵守とか、Strict である*1とかそういう感じです。
人や組織、なんでもいいけど、それら対して柔軟さと厳格さ、それぞれの側面での期待値というものがあって、評価されたり周囲の目線を気にすることはあって、その際にこれらを相反するものとして扱わないようにしなきゃいけないなぁ、と思うことがあった。きっかけはたいしたことないので割愛するけど、とにかくそう思ったのである。柔軟さのアピールに厳格さを捨てる(しばしば過剰な厳格さは罪悪だ、といったメッセージを伴う)姿を見せる要は必ずしもないし、厳格さの表明において柔軟性を失う印象を与えないように注意することは意味がある。でも「どちらかの側の人間である」というポジショニングは、自分はあまりうまくいくイメージはない。対立しない。両方必要。
両方必要なのに、どちらかに寄っているなと思ったら、自分はたぶん何かを面倒がっている。だいたい、柔軟さのアピールは細かいことが面倒になって「私は柔軟なタイプなので」って顔をしていたりする。厳格さも多様さを管理する面倒さから逃げている場合がある。それを見透かされると最悪である。そう考えると、柔軟さと厳格さは対立せず、どちらかというと怠惰さと対置するべきなのだなぁ。