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日記だよ

失敗と怠慢

(いわゆる上級管理職を除き)失敗や目標未達は大抵ネガティブ評価の原因にはならない。怠慢はなる。いや、大抵なにかの評価項目でネガティブ評価されている場合は失敗や未達についてというより怠慢として認識されているとすら思っている。

 

ここでいう怠慢は、仕事をサボるみたいなあからさまなやつというより、脳内責任転嫁して本来やるべきことをしなかったとか、得意なことに固執して苦手なことを泥臭く取り組むのを避けたとか、どうせ無駄だからと問題を見て見ぬ振りをしたりとか、チームの他のタスクを考慮せずに進めた結果手戻りを誘発したとか、能力的に予見できたことに対して自分の仕事ではないからなとコメントしなかったりとか、まあそういうやつである。

 

怠惰さそのものは通常非難されることはない。怠慢が原因で問題や期待値とのズレが起こると、突然フォーカスが当たるように見える。でもそもそも、職務的誠実さ勤勉さは常に求められていて、全ての前提になっている。

 

人は他人の怠慢に不寛容だと思う。「精一杯やった*1」をよしとしがちである。一方で自分の怠慢には寛容だ。「俺のモチベーションを失わせるのはこんなに簡単だ。環境に問題がある」といくらでも力説できる。

 

でも失敗に寛容であろうとし、挑戦を奨励するなら、最大の敵は無気力と怠慢に違いない。なぜなら、無気力や怠慢を原因とした失敗に寛容になる余地は全くないからだ*2。それを分離・区別して初めて、失敗を、挑戦をたたえる土壌ができる。失敗を奨励するためには、怠慢についてより明快な否定のスタンスを示さないと難しい。「難しい問題に挑戦するがあまり真剣にやらずに未達」みたいな面倒なケースを、どう捌いていくかが問われてくる。怠慢なんて強い言葉を使わずに、「あなたにとって心理的なコストが高いのでそのやり方を避けたんですね」みたいな対話をしていくことになるかもしれない。でもなーそれだと本質的な問題から目を逸らしているような気もするんだよな。

 

みたいなことを考えるのは、四半期終わる頃だからなのかもしれない。そういう時期なのです。自分を振り返ると、厄介な問題を抱えつつ、できることから着手して苦手なことは後回しにするはっきりした傾向があり、これは怠慢であると分かってはいるので、なんとかしないとなと思いつつ、これがね、なかなか難しい。

 

 

*1:パトレイバーTV版城門の戦いのワンシーンを思い出してしまうと思うがそれとは関係ない

*2:たとえそれを学習性無力感であるとか、風土の問題であると主張したところで、同情はできてもそれ以上何か評価上のフォローにはならない