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日記だよ

適性と「苦手だけどできる」

「苦手だけどできる」ってやつ、今までは特に意識してなかったけど、もしかすると普通の「うまくできない」より適性としては扱いが難しいのかもしれない。

 

言ってみればそれは不自然な姿勢でスポーツをやってたり、一部の操作が分からない状態でゲームをやってたりするようなものなのではないか。というようなことを朝から考えていた。まずそういう状態では、結果として周りと同じようなスコアに到達していたとしても本人からしたときの費やした労力が全然違うだろう。労力を多く使うということは、他のことを犠牲にするということであるから、苦手だけどできることを多くやっていると、その他のことがどんどん犠牲になっていくような気がする。労働力ダンピングってサービス残業の文脈で多く口にされた言葉だけど、こういうのも立派にそうだ。そして本人が赤字のまま暮らしていく。

 

そんなことを続けている人は他人に対するスタンスも変わってきそうである。つまり、苦手であるということとできないことを切り離して生きているから、他人に対してもそのスタンスで接するようになってしまいそうである。苦手というのは、心理的・時間的コストが高いということなので、苦手なことをやるとコストが高くつくのだけど、できるできないでいえばできる。そしたら、後は相手がその心理的コストを負担するかになるかどうかの話に見えてしまう。苦手だからそれがどうしたというのか。やれよ。*1

 

が、これは「つまりやる気がないんでしょ?」のロジックそのものではないのか。

*1:自分と同じ苦労を他人にさせようとするマインドにも思えるし、「我慢の報酬」を求めているようにも思える。いずれにしても健全なことではない