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日記だよ

八つ当たり

イライラしていて関係ない人に攻撃的な行動を取るのは八つ当たりというよね。

インターネットに渦巻く、「自分をひどいめに合わせた人と同じような感じの人に対する攻撃的な態度」を見ていると、感情が喚起されるのはしょうがないとして、行動に現れるのは八つ当たりであろう、と思う。

もちろん、自分の感情を吐露することに文句を言うつもりもない。先生実は大好きですと叫ぶのも、あの野郎クソッタレめと無限に呪詛が湧いて出ることも、それが独り言として出てしまうことも、脳と直結したキーボードを通じてインターネットに出ていくことも自然なことだ。

ただ、自分は関係ない第三者であるということを忘れないようにしたい。どこからどこまでが自分の過去の経験で、どこからどこまでが見聞きした情報から連想された脳内の出来事で、どこからどこまでが他人にとって生じた出来事なのか、区別できるようにしたい。それらは容易に境界線を失ってしまうから。

なるべく八つ当たりはしたくない。ルールの話をする時にはルールの話をしたい。誰かが裁かれるべきなのかどうかという議論をするなら、「その人が何かのルールに従って、どのような理由で裁かれるべきかどうか」の議論をしたい。そこに挟まる個人的な攻撃性について自覚的でありたい。

被害者が、自分もまた加害者でありたいという欲求を露出するのが八つ当たりなんだと思う。イライラした自分を、イライラさせた世界に対する加害者に置きたいのである。その発作的な欲求を完全にコントロールするというのは無理があって、道端の石ころをオラっと蹴っ飛ばしたり、天井に向かってガオーと叫んだり、とりあえずビールいっぱい飲んだり、無意味に猫を威嚇したり、衝動に任せて高価なヘッドホン買ったりする程度で発散できるようにしていきたいものである。

 

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ただ大勢が一つの方向を見て感情的にギャーギャー騒ぐことで物事が動く/それ以外の方法で物事に影響を与えられない、という状況において、一言で八つ当たりとまとめるのも難しいんだろうな。その世界では、感情的に叫ばないのは現状に対する追認にあたるとされる。自分は八つ当たりが容認される・自分が不快になったということを表明することで攻撃性が容認される社会も怖いのでそこに対して批判的なトーンになりがちだけど、かといって現実に対して良い解決策を持ち合わせているわけではない。