失敗を重いものにしないためには、環境において頻繁に失敗が発生している必要がある。失敗はありふれたものなのだと。当然予期されるものであるのだと。無数の失敗があって、その中で壁を貫通する成功が発生して、物事が次に進むけど、その先でも失敗がいっぱいあるのだと。
失敗を失敗として捉えたくないという精神性とは衝突してしまう。もしかしたら、「誰の」という主語が隠れているのかもしれない。自分はそういうの見えないので、そこを無神経に踏み抜いてしまう可能性はわかる。
自分が失敗を軽いものとして扱うために、他の人にも気軽に失敗を設定してしまう。「お、それ失敗だね」「だめだったね」とライトに扱って、「教訓は何かな」「どこが問題だっただろうか」「次いこう」とやる。やりたい。どうするといいかなあ。けっこう失敗は重いものとして受け止められてしまいがちで、それをなんとかしたいのだけど、いいやり方がまだ思いつかない。
この本文中に、「失敗」という単語が12回くらい出てきている。すごい。