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日記だよ

実際の問題であるところの疑似問題

というものがあるなあと思っていた。ある視点からはそれは本当の問題ではどう考えてもない、疑似問題であろう、と断じるのは簡単なケースであっても、別の視点からするとそれこそが中心的な問題であることがある。大きな問題だと見えている、というのではなく、それが問題なのである。ある視点からそれが疑似問題であることは、同時に別の視点からは厄介で中心的なイシューであることと矛盾しない。まあ、そういうすれ違いが発生するのは、そもそも同じ視点に立って会話・議論に参加してないからだと思うのだけど、一つの視点からでは議論が深まらないのでいろんな視点を入れましょうというのもわかる話ではあって。では他の人にとって大きな問題であるところの何事かを疑似問題であろうと断じるとき、別の人に生じている問題を無化してしまってはいないか、無化されてしまった人は議論に対する建設的な参加者たり得るのではないかと思うのである。各自は各自の問題意識をスタートラインとしてものごとに関わっていくのではないのか。