これはただのメモです。
- 上司、部下、同僚、家族、さまざまな人があなたの(わたしの)周りにいる。
- 彼らは彼らの様々な立ち位置によって、それぞれの理の中で生きている。
- それぞれの理で生きており、そして、普通に考えればその理の中で保守的であろう。
- たとえば上司はあなた(わたし)より大きな裁量・権限を持っているかもしれないが、それでもなお、その立場においての理があり、責任を持たなければならないラインがあり、それを脅かす要因に対して保守的であると考えるべきである。
- 家庭を持っている人は家庭を守るだろう。部署の業績を持っている人は部署の業績に対して守りたいと思うだろう。投資家に対して説明責任を持つ経営者は、説明責任を果たせなくなるリスクに対して保守的な振る舞いをするだろう。部下を持っている人は部下を守ろうとするだろう。
- 複数の理の間にいてバランスを皆取っているだろう。その「バランスをとる主体」としての理もあるだろう。
- 「バランスをとるために疲れ果てた自分を守る」理は表に出てきづらいけど、ところどころで無自覚にそういうロジックに従っている人はいそう。
- ところが、それをあまり職業倫理的に許容しないことだと位置付けている人は多い
- そして一周回って「自分を守るアクションは最優先である」と敵がいないところで走り回る人もいそう。ことあるごとに「とはいえ自分が最優先だから」「これは〜するべきではないから」とラインを貼る人を見ていると心配になってしまう。常に警戒ラインに注意が向いており、おそらくは侵されているという感覚と戦っている。
- 自分もまあまあそういうピリピリ感は持ってる方ではある。性質は違うけど。
- 外から見るとなんの理に従っているかわからないが、混乱はしていても、本人の中では筋道がある。
- 「バランスをとるために疲れ果てた自分を守る」理は表に出てきづらいけど、ところどころで無自覚にそういうロジックに従っている人はいそう。
人の集まる場所で生きていくうえで、最悪のアクションのひとつが他人の理を軽んじることだと思う。あらゆる方面でマイナスの効果がある。
実際のところ、他人の理はわからない。だから、「無視してもいい他人の理」のラインが生じる。線をどこに引くかは様々だ。だいたいは「自分より強いと見なす人々の理」に対しては言い訳を構築済みだったりするんじゃないかな。でも、実際には「他人に無視されてもいい理」なんてないのだと思う。それは他人から見て混乱していて、破綻していても、そうなんだろうと思う。
この話にはとくにオチはない。メモだから。