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日記だよ

悪役の魅力や共感がないと対立の物語は面白くない

読んでいる側は主人公にも敵対者にも視点を移せるわけです。ルークがダース・ベイダーをズバッとやっつけた瞬間、観客は斬ったと同時に斬られもする。シャアが「彼女は私の母になってくれたかもしれない」って言った時、何言ってんだこいつと思うと同時、ああ、俺そういう恨みがあったんだったと納得する。

そういう両面性があって、それはあんまり意識的にしているのではなくて理解しようとする過程だと思いますが、そういう脳の負荷みたいなやつと、ああそうだったな、そうだったんですよと当事者的納得が生まれる解放とがあって、カタルシス的なやつなのかな。これは、ドラマの側にのめり込んで、おいおいどう決着するんだよ、決着つけてくれよこのままじゃおさまらないよ、という気持ちになってるのが背景にありそう。

悪役というか敵役にも理解や共感、魅力を感じてないとこうはならない。踏み潰されるだけの雑魚とか、因果応報以外に感想がない愚かなやつには背景や障害物のような肌触りを持ってしまうと思う。予定調和的に後からやられるために出現する迫害者とか、物語の導入のためだけに出現する悪漢とかね。こいつは悪いやつだから悪いことをするんです。終わり。みたいなのは、別に追いかけたくならない。舞台装置以上の味付けがない。

やたら細かく描かれても脳が追えないという問題が一方であります。記号的な説明が悪い、気に入らないとかいうつもりはなくて、結局のところ表現ではなく読み取る人物や物語の生々しさが必要なんだと思う。自分でも面倒臭いのは、物語において入り込む過程では別に生々しい人間らしさはいらない気がする、立体的な人物像とか詳細な描写なんてストーリーラインの把握のノイズだとすら思っているところだ(だからこれでもかと写実的な描写の多い文学作品は洋の東西問わずに読むのにパワーが必要と思う)。最初は登場人物は記号的な登場でよく、それが徐々に明かされていってほしい。書いていて思ったけどこれは脳の負荷の問題なんだな。よくある視線誘導の解説みたいに、徐々に構図が理解できていく中で、「これが知りたい」「こいつはなんでこんなことしてたんだ」という疑問が生まれたり「ああ、こういうことだったのね」「こいつはこういう位置付けなんだな」って納得ができたり、そしてそれがひっくり返ってびっくりしたり、という心情の動きがある。

これが作者にうまく操られると気持ちがいい。ということなんだな。たぶん。書いていて納得できたけど何書きたくて書き始めたかは忘れた。タイトルからすると、記号的な悪役とか権威者とかヒロインの置き方するアレが気に入らないみたいなことを思っていたのではないか。思い出せない。まあ、納得できたから、いいかな。