みたいなことを考える。よくある仕事のかたちだ。
材料が不足だと生み出される全体の強度が弱い。現実のいくつかのケースと照らして矛盾して破綻する、ということを繰り返す。材料を増やすか推測回数を増やすしかない。
推測した全体から不足を予想する。この段階でも、全体像の予想がてんで明後日の方向にずれていることがわかることがある。あるある。「こんなパーツが必要なんてどう考えてもおかしいぞ」ってんで。ちょっとずつロジックを修正していく。
こういうことを部下にお願いすることがある。
失敗はある。今ある材料だけから導かれる結論になっていたり、全体像を予想しようとして「これは検証不能であろう」と漠然とさせたまま次に進んでしまったり、全体と現在の差分を見た時にあまりにも多い差分が出たのに推測した全体が過大すぎる(つまり全体像の仮定サイズにミスっている)と気が付かなかったり、と、自分が昔やった失敗パターンを再現しているのを眺めて、これらは前例・知見として説明するとよいのか、と悩む。
しかし、他人の失敗ストーリーを知識として知っていても、予見はやはり難しいんだと思う。経験しかない。パターンを小さく再現して失敗させる、ということをやっていく。そもそも、「これは失敗なのだ」という判断そのものが途中経過においては難しいもんな。あらゆる探索的な思考において事前に枝刈り基準なんて作れたもんではない。いや、自分が作れないだけでみんなやっているのかもしれないけれども。各自に自分なりの探索回路を作ってもらわないといけない、と思っている。
迂遠だという意見をもらう。わかっとるがな。