どうも自分は「歳をとった若者」側な気がしている。ただしこの「若者」は西暦2000年前後の若者である。若者には年式がある。時代性を閉じ込めて人は歳をとる。
だいぶいい歳になっているが、大人になるためのいくつかの儀式を自分は踏んでいない、という気持ちがずっと残っている。SNSで「こういうのは学生の頃に卒業しないと」みたいな言説を見て流れ弾で傷ついたりするのは、それが原因なんだろうと思う。仕事をしたり、結婚して家族を作ったり、注文住宅で家を建てたり、田舎に家を買ってみたり、町内会に参加してみたり、というのも自分の中では一貫して、正しく大人になるための試行錯誤をしているつもりなんだけど、迷走している気はしなくはない。しかし自分が「若者」という殻を破るための道なんてのは自分にしかわからないわけなので、他の人と比べるのもあんまり意味がないと思える。
最近、「海に行って遊ぶ」「花火をする」という実績を解除した。これは、大人になるための自分にとって不足していた壁の一つだった。感情をパッキングして、過去形の思い出として自らの土台に埋め込む活動を繰り返すことで、土台が成長していく。未完成だった動機に結末を与えて整理していける。
「気になっているんだけど、できてない。いつかやろう」「このような体験を自分もしてみたい」という感情が仕舞い込まれた宝箱だけがとにかくどんどん増えていき、自分の血肉・足場が成長しない、という状態はよくない気がする。よくない、というのは自分の精神に悪影響がある、という意味である。ちょっとずつでも自分の基礎を育てていかなければいかん。
自分が未熟であり成熟を目指している、という気持ちそのものは決して悪いとは思わないんだけど、道を歩いているのではなく、道を探しているという状態はなんとかしたい。同じところをぐるぐる回っているのでは切なすぎる。四十にして惑わずとはいい言葉だと思う。歳をとって、選べる道が減っていく音に怯えながら、まだ自分は惑っているので。