なんでだろ? と考えていた。
ごく狭い観測範囲ではあるけども、優秀な人は「ひとがものを学習すること」に対するメソッドや考え方をなんらか持っている気がする。
そしてそのメソッドでもって、初心者であるところの相手が次の段階へ進むためのステップは何だ、というところを読み取って、あなたは次にこのようにするべきだろう、という回答を出す。自分が解決できそうな問題に対しては解決したくなる。つまり、たんに初心者であるということが「ある人物が、次のステップに進むための材料が不足しているか、なにかの障害がある状態」として認識するのではないか、と予想している。
エンジニアみたいな仕事している人は、うまく動いていない仕組みを見ると直したくなる精神性はわりとみんなもっていて、それが発動しているのではないだうか。
もっといえば、あるものごとに対する仮説を反射的に立ててしまうし、それを確認する機会があったら試してみたいという性質と、関わった以上は責任感が生じてしまうみたいな流され系のバグもあるのではないか。
また、「わからない」とか「うまく理解できない」ことに対するネガティブな捉え方が薄く、やはりただの現象であると理解しているような気がする。「この条件が満たされなければわからないのは当然ですね」みたいな。
つまり、優しさというのは外形的な見え方であり、実際のところは優しくないのかもしれない。
「オタク民族に特有の同族繁栄の本能」という意見もあるのは承知しているが、まあ、それはなんか違うような気もするんだよな...。
この話は利害関係を考慮していない。未熟な他のメンバーによって許容不能な実害を被っているケースなどは、それはエンジニアであるとか初心者関係なく狭量になることはやむを得ないだろうし、被害認識が凝り固まって坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとなっちゃう人も一定数いるのはそうだろう。それは職種とか立場関係なくただの人類の話なので掘り下げ甲斐がない話題だと思う。