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日記だよ

計画的偶発性理論なんでみんなそんな好きなんだ

と思うことがたまーにある。計画的偶発性理論だけに限らないんだけど。

「自分の趣味にあいそうな本を適当に買って、フィーリングで本棚に置いておく。買ったのもすっかり忘れた頃に本棚をぼんやり眺めて巡回していると、あるとき『はっ、この本は今の自分にぴったり必要そうな本じゃないか!!』となることがあって、助かっている」

という話に、

「計画的偶発性理論ってやつですね」

みたいな反応が返ってくるやつ。

いや、知っているけど、この話のキモというのは、本を買うというのは未来の自分のために困った時の道標を置いておく行為なんだってことなんだ。「転ばぬ先の杖」の方にまだ近い。未来の自分が偶然助かることを狙ってその確率を上げていく、というのは確かにそうなんだが、そんな抽象度の話ではない。紙の本と本棚の話なんですよ。そこには、たとえば実用書であれば、自分の未来がどんな困難に出会うのかという、予想であるとか、ある時点のビジョンと危機感が並んでいる。詩集や小説であれば、それを手に取りたくなる自分の気持ちを考えている。

なんて感じてしまうのは、たぶん「理論」という用語がまずエラそうでいけないし、偶発性なんて堅苦しい語も「助かる」「嬉しい」っていうニュアンスが欠けているからだ。

未来の自分が本棚の前で難しい顔をしているとき、きっと彼はプレッシャーに疲れから聡明さをだいぶ失っているだろうし、誰の助けも得られない孤独のなかで途方にくれていると思うけど、過去の自分が余裕のあるときに本という形で助けを送る・助けようという気持ちも一緒に送っているのです。少なくとも、過去の自分は今の自分のためを思っている。そういう情緒の話。

お前、計画的偶発性理論って言いたいだけなのではないかと、疑わしい場面があるのもある。これはまあ、ちょっと斜めに構えた気持ちではありそう。