なぜかというと自分が成長するからだと思う。成長して、初心者を抜けたあと、達人へのステップを辿れていないとき、停滞が訪れ、成長が減り、メモに書くことがなくなっていく。
プログラミング関連Tipsとかも初心者の頃は新しく学んだことを整理するために書く。「classを定義するには」とか「型をインポートするときに気をつけること」みたいな粒度になって細かく書く(そして同様の初心者にそれが読まれる)のだけど、経験を積んで目が養われてくるとわざわざブログや記事を書く手間を踏まなくても処理できるようになってくる。ドキュメント読めばわかる、類似の処理してるGitHubのOSSを眺める。いくつか試作してみる。AIに書いてもらう。問題発見と解決のサイクルが短くなってくると、わざわざ他人に読んでもらう体裁の文章として書く隙間がなくなってくる。
かくして、「プログラミングのメモ帳です」みたいなホームページとかカテゴリは初期の頃は網羅的にいろんなことを書いているのだけど、やがて抽象的なことを散発的にしか書かなくなっていく。網の目がどんどん荒くなっていく。
自分の周囲には自分と近い水準感の人が集まるものなので、自分が成長すると同じように周囲のひとたちも成長するから、想定読者としての周囲の人間が初心者レベルの情報を必要としなくなる、ということもありそう。
初心者レベルを脱すると、困っている、というのと解決策の探索がセットで行われるようになり、解決した瞬間それは自明なものにしか見えなくなって、わざわざ書くほどのことではないように思ってしまう。困り方のパターンというのは困りごとの種類ほどはないので、このパターンの困りごとはこういうやり方で解決できるとわかる場合が増えてくる。すると、いつもの手順通りに問題が解決できてしまう。自分も周囲も、それを特別なこととは思っていない。わざわざ書き残すほどではない。
それでも、後世のために、誰かが助かるかもしれないから、という気持ちでテキストエディタに向かったりするのだけど、イマイチ気分が乗らないということがおこる。
自分にとっての驚きや体験を綴るのはやりやすい。「これを知って世界が違って見えるようになったぞ」という感情の方が本体である。書くことで自分のアハ体験を追体験できる。気持ちいい。それに対して、自分の「知識」をまとめて整理して書くのはわりと苦痛だ。正しく、わかりやすく書くことが目的になるから。自分の中にあるものを他人の言葉で語り直す過程で、自分の中にあるそれをいろんな角度から叩き、確認し、さらに整理していくということに面白さを見出せないと難しい。
中級者から達人に至る道というのはあんまり舗装されてない。普通のことを普通にこなしていくだけでは不足で、自分の知識を常にちょっとずつ整理し、変更していく必要がある。あらゆることを、今よりちょっとうまくできるようになろう、という意識で捉えるような、そんな精神がもともとあれば便利なんだけど人間そんなふうにはできてない。昨日までできなくて、今日新しくできるようになることが減ってくる。思いついたように、「ああ、こういうのもあるな」とトリビアルなテクをライフハックとか言って喜んだりする。それは停滞であろう。
これはメモを書け、とか、書かないやつはダメだとかいう話ではなく、自分向けの反省である。なんらかの達人を目指してない、という場合は、まあ気にしなくてもいいやつだと思う。自分は、どこかで達人でありたい、目指していくぞ、という指向を支柱に設定しているので、こうした兆候は危険だなと思う。