ふと目に入ったのでメモ。
果たして人間と接する感覚というのはなんなんだろうか。たとえば、アイドルの追っかけとかしている人がアイドルと会話する瞬間がやってきたとしたとき、そこには「人間と接する感覚」はあるだろうか。逆にアイドルからしたらどうか。アイドルは仕事でやっているから、という視点があるならば、この詐欺師の女性はやはり仕事としてやっているのではないか。自分の期待するかたちであることを求める、というのはすでに非人間的であろうから。
仕事としてやっている中で、仕事ではなく人間として振る舞うことを求められるというのは、実は難しい話題だと思う。
いや、この事件についてはただの詐欺事件だと思っているのだけど。(そんな詳しくも知らないし、強い何かの意見があるのでもない)
ただちょっと考えるところがあった。
お金を稼ぐために(またはなんらかの目的があって)やっている行動において、最適化が進むと、他人を人間としてではなくメカニズムの一部としてみなすようになっていくのが自然ではないか、ということをたまに考えるんですね。チームで優勝を目指すとかでもいいです。目的があり、目的を達成するためのブロセスにおいて、妥当な配慮がある。そこでの人間性や思いやりというのは、けっきょくのところチームワークを機能するために要求されるギリギリのところでカットオフされるのではないか? 同僚を尊重するのは、同僚がいい気分で仕事をするために/不快さによってパフォーマンスを落とさないために必要であるからなのでは? あるいは自分が不要な社会的ペナルティを受けないようにするためでは?
強いて言えば、被害者に対して「人間と思って接する」のは加害者としての最適行動ではないんだろうと思う。それが自然なことであって、自然なことを取り上げて問題視するのは不思議な感じがする。そりゃ、残酷なことをする人間は、される人間を人間として対等には尊重してないのはまず間違いないと思うから、犯罪当時のことを思い返せば「人間として接する感覚ではない」になるだろう。そりゃそうだ、という話であって。まあインプ稼ぎなのはわかるんだけども。
問題視するとすれば、「更生を狙って刑務所へ収監する」わけなので、刑務所の収監の効果が薄いのではないか、という点だろうなあ...。反省であるとか感情的な共感を強制によって生み出すのは無理だと思うので、更生 = 社会のルールを遵守する方が自分にとって得であるという認識を植え付けるのが、現実的な目的なんだと思う。まあしかし現実世界ってけっこう法の強制力が及ばない範囲が広いからなあ...。被害者が訴えれば問題になるけど訴えない可能性が高いなら、難しいよな、と思う。