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日記だよ

映画「君たちはどう生きるか」

見た。見たぞ!

俺が求めていたものとは違った!!!悲しい!

シーン単位でよくできてはいるのは見てるだけでわかるんだが「ポニョ」のソースケを見ているような、入り込めない感を強く感じてつらかった。ポニョはそれでもポニョを追いかける話なので楽しく見れたのだが。

インコ軍団とか若き日のキリコさんとかどういうモチーフなのか全然ピンとこないし、「悪意」の扱われ方もあやふやすぎる。向こうの石を拾ってきたのがどうしてお守りとして機能するのかみたいな話も唐突すぎる。「これはこういうふうに機能している物語装置なんだな」という納得が得られないまま話が進む・終わるので不完全燃焼感が強い。むーん。夏子さんも大叔父さんも行動の動機がわからないし。王様あまりにも考えなしのように見えるし。

上の世界へ漂っていって人間として生まれるフワフワしたやつとペリカンの生態系とかも位置付けが謎だった。このシステムが壊れたら地球では未来にわたって子供が生まれなくなってしまう?  とずっと心配しながら見ていた。

アオサギはかわいいと思いました。

限りある材料から妥当な全体を推測し、推測した全体から不足分を予想し...

みたいなことを考える。よくある仕事のかたちだ。

材料が不足だと生み出される全体の強度が弱い。現実のいくつかのケースと照らして矛盾して破綻する、ということを繰り返す。材料を増やすか推測回数を増やすしかない。

推測した全体から不足を予想する。この段階でも、全体像の予想がてんで明後日の方向にずれていることがわかることがある。あるある。「こんなパーツが必要なんてどう考えてもおかしいぞ」ってんで。ちょっとずつロジックを修正していく。

こういうことを部下にお願いすることがある。

失敗はある。今ある材料だけから導かれる結論になっていたり、全体像を予想しようとして「これは検証不能であろう」と漠然とさせたまま次に進んでしまったり、全体と現在の差分を見た時にあまりにも多い差分が出たのに推測した全体が過大すぎる(つまり全体像の仮定サイズにミスっている)と気が付かなかったり、と、自分が昔やった失敗パターンを再現しているのを眺めて、これらは前例・知見として説明するとよいのか、と悩む。

しかし、他人の失敗ストーリーを知識として知っていても、予見はやはり難しいんだと思う。経験しかない。パターンを小さく再現して失敗させる、ということをやっていく。そもそも、「これは失敗なのだ」という判断そのものが途中経過においては難しいもんな。あらゆる探索的な思考において事前に枝刈り基準なんて作れたもんではない。いや、自分が作れないだけでみんなやっているのかもしれないけれども。各自に自分なりの探索回路を作ってもらわないといけない、と思っている。

迂遠だという意見をもらう。わかっとるがな。

定期的に見る映画が20年前から更新されていないような気がする!!!!!!

映画というかアニメ映画ね。

アップデートしたい!!!

エヴァの新劇場版はそこそこローテーションに入りがちな気がするが、エヴァか...とネタそのものが更新されてない感が少しある。最近だとFateのさくら編の三部作とか、鬼滅の無限列車は刺さり気味ではあった、けどどちらも終幕の盛り上がりに向けて丁寧に作られてはいつつ、映画の中でシナリオに翻弄されてる感がなくて(面倒な客)

大好きな劇場アニメ、冒頭あたりの「ほら、いつもと違うぞ。ワクワクするだろ?」みたいな導入が大好きなんです*1。そういうトルクがかかった立ち上がりと、それが裏切られないぞという安心が両方あるので最高なのです。わかるだろうか。わかります?

*1:たとえば天空の城ラピュタの冒頭の、飛空艇から落ちてタイトルに入るあたりとか、「親方!」のあたりとか何度見てもそういうワクワク波動に盛り上げられるわけです

映画「ドラムライン」

見た。よかった。のだが。

どうも最後まで見ても釈然としない。すっきりとしない感じがある。映画そのものはスカッとする系の分かりやすいやつだし、印象深いシーンもいろいろある。イケイケの主人公にボスが言う「君はリードする前に従うことを学べ」みたいなのは鋭い投げかけだし、本物にこだわる監督の細かい面白言い回しはいちいちニヤリとさせられる。しかしこう、いろいろ飛ばしすぎなのでは、と思うところが多すぎてね。

まずそもそものとこ、大学のマーチングバンドにかける連中の熱い気持ちがまずまったくわかんないのよな。同窓会とかOBの存在感とか。アメフトの試合の間のバンドバトルみたいなのもなんなのかわからなすぎる。(寄付をしっかりしてくれるOBみたいな存在はたまにアメリカの映画では描かれるとはいえ)  冒頭から飛ばしてくるフルメタルジャケットばりの軍隊みたいなバンドの訓練とか、監督同士の張り合いとかもすごいんだがノリがわからない。謎の儀式に通い詰める旧友の顛末、白人で頑張ってるゲイっぽいやつがポジション取るために突然先輩(?)にバトルを挑む展開も、リー監督とかショーンが何を考えているのかいまいち腑に落ちないんだよな。主人公とショーン、確執ある二人は殴り合って認め合うみたいになっていた。あとさートロフィー彼女枠。もっとちゃんとツンデレしてもいいんじゃない?

 

文句ばかりだけど面白かったんだよ。ただ、なんかこう、「面白く作る基本を抑えていれば適当でも良い」みたいなジャンクさを感じてしまうのである。ギギギ。でも音楽シーンはすごく良かった。素直に楽しい。

映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

見た。面白かった。

落ち目の俳優リックさんと相棒スタントマンのクリフがあれやこれやする話である。不安定な連中で、クリフはアウトロー感があるし、リックは情緒不安定だ。「親友以上、妻未満」みたいなこと言ってた。

火炎放射器とかLSD漬けのタバコとかヒッピー村などが出てくる。ヒッピー村はちょっとホラー風味でしたね。

途中で出てくる女の子の女優が可愛くてすごかった。ヒロインの風格がある。日本の映画の子役ってこういう感じの存在感出る人見たことないんだよな。アダムス・ファミリーのウェンズデーとか、ハリポタのハーマイオニーとかと近い枠。

 

それにしても本作、ジェット・リーが暴れるイン・チャイナのシリーズかなと思ったら全然違ったのがびっくりである。

ゲーム「エルデンリング」2周目

大型有料ダウンロードコンテンツ「Shadow of the Erdtree」の発売を契機にやっています。ということで、ようやくDLCで追加されたエリア「影の地」に到達。燃えてる巨人に蹴散らされたりしております。

一周目は最低限に詰まったところだけ攻略サイトなどを見てやっていたんだけど(そもそもマレニアとかモーグの居場所は1人でプレイしていて到達できたとは思えない)、今回はNPCやイベント関係も気軽に見ている。壺の人とかフィアの人の話とかを見てなるほどとなっていました。

「これ絶対ノーヒントだとわかんねーだろ!!!」

と叫びながらやってます。楽しいけど腹立たしい。

洞窟とかを見逃す、とかはまあいいけど、「このキャラクターはこのイベントのあとこの場所に移動している」とか「この出来事の前にこの会話を済ませていないと進行不可」がめちゃくちゃ多い。周回が1時間とかで終わるゲームでもないのに鬼畜仕様だぜ。すごい。武器や装備の種類も説明見ただけではぜんぜせんわからない効果がありこれはゲームの全体像をわかるのはむずかしい規模だ...。それが面白いんだけども。

楽しくプレイしているのですが、いちいちゲーム起動するときにオンラインプレイのライセンスチェックが入るのが鬱陶しい。なんか「よし、ゲームしようかな!!」となったときに気分が削がれるんだよな。

映画「シンドラーのリスト」

見た。実は見たことがなかったんです。

これは傑作という以外に言いようがなかった。

ナチの党員であり実業家オスカー・シンドラーユダヤ人会計士イザック・シュターンも、ナチスの親衛隊将校アーモン・ゲート少尉も、それぞれ簡単に言い表せない人物であり、それぞれの人間的なありかたみたいなのが物語の筋として絡み合っている。

そして戦争は進み、ユダヤ人の迫害もエスカレートしていく。当然、ドイツは戦争に負けるわけなのだが。そして史実としてユダヤ人は何百万人も殺される。知っている。

アンネの日記」や「夜と霧」などの文学作品で多少なりとも知っていた気になっていたユダヤ人の受けた絶滅政策の手触りが、映画を見ているうちに全く新しい知識として突然生々しく立ち上がる感じだった。ゲットーという言葉をふと調べて、そもそも歴史的に長い間ユダヤ人がヨーロッパで追いやられてきたことを改めて認識するなどした。

とにかく全編通しての絵の鋭さがある。パンの切れ端に宝石や指輪を詰めて食べてしまう家族、息を殺し聴診器を天井板にあて家中の音を聞き生存者を探すドイツ軍の執拗な感じ、あらゆる隠れられそうな場所にはすでに人がいて「もういっぱいだよ」と追いやられる絶望、大勢のユダヤ人を列車に乗せて荷物は別に送るから心配するなと送り出した後その荷物をまとめて開けて金目のものを選別するその当たり前のような仕事(きちんと丁寧に選分けているのが仕事として真面目にやってる感があり恐ろしいし、宝石や貴金属の鑑定にユダヤ人が使われているのがまた...)、「殺せるのに殺さないのが皇帝の力だ」と説かれたゲートが「許すよ」と気まぐれに救いを与える顛末、シュターンが「今ここで飲みましょう」と酒を飲む場面、そういうシーン一つ一つが強度がある。

また見返したいが、多分一年か二年は見返す力が出ないと思う。ヤバい映画だ。

そして、シンドラーが実在の人物であることにあんまりにも圧倒される。いや、これは圧倒されるとしか言いようがない。監督のスピルバーグユダヤ系であり、この映画を撮らざるを得なかったという背景も考えてしまう。普段そういうことあんまり関心がないのだけど。

映画を見終わってから、気になって本棚から「夜と霧」を探したのだが見つからない。ええ。まさか捨てたり売ったりしたということもないと思うのだが...。