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日記だよ

人は小さな可能性を大きく感じる

主語が大きい。

宝くじを買うと当たるかもしれない。可能性は低いがゼロではない。ゼロではないなら、その人が現実的に考えられるゼロではない小さな割合になる。それは実際よりも大きいのではないか。

同じように、コロナワクチンの副作用の話題がある。低確率で何か起こる。低確率と言うからにはゼロではない。何となく宝くじ同様、誰かが確実に引くハズレくじがあるように感じる。その割合は、実際より大きく感じられるのではないか。

よくあるソシャゲのガチャは実際の確率より当たる可能性が高く感じられると言う人間の(主語が大きい)バグを利用した上で、演出や嬉しさの調節によってリターンを大きく見せかけ帳尻を合わせているのではないか。

 

期待値計算のバグともいえそう。期待値計算が間違っていても、結果の印象がそれらの辻褄を合わせてしまうことがある。左脳は辻褄を合わせたがる。物語を求めている。「たまたま当たった」「たまたま外れた」だけだと脳の感じていた期待値とズレていて違和感が生まれる。試行回数が少なければ実際の試行以外から補完する。脳は数字が読めないので確率を示されてもピンとこず視覚に負ける。たとえばテレビでワクチン接種する人を1000人見て、副作用のニュースを10回見たら、やばい副作用は1%程度の高い確率で見込まないといけないように感じるのではないか。ガチャは「十連ガチャn回」「二十連ガチャn回」のようにして、脳が認識する試行回数をハックしているのではないか。