ふとこんな発言を見かけて、面白いなと思ったので書き残しておく。
「魔女の宅急便」原作が好きだから、映画は好きになれないんだけど
— 野生のサツマイモ研究家 (@parfaitthestudy) March 24, 2024
いちばん信用ならないのは「男と恋愛するような“成長”をとげると、一緒に育ってきた内面世界にアクセスできなくなる」というシステムなんだよね…
これ、ハウルでも似たようなことが起きてると思う。
いちばん信用ならないのは「男と恋愛するような“成長”をとげると、一緒に育ってきた内面世界にアクセスできなくなる」というシステムなんだよね… これ、ハウルでも似たようなことが起きてると思う。
リプライでは処女信仰的なものだと感じている人がいて。
作品としては好きなんですが、男性作家の処女信仰を感じますよね。笑
— ケンカイヨシ(作曲家) (@kenkaiyosi_info) March 24, 2024
作品としては好きなんですが、男性作家の処女信仰を感じますよね。笑
自分の感覚ではおっさんは自分自身の「少年的なもの」の残滓と苦しみながらつきあっているので、少女に投影してそれを儚く尊いものだと扱いながら、自らの儚くも尊くもないとわかったそれを慰撫しているのじゃないか、と思える。少年的なものと釣り合う女性性は、強さあるいは包容を示す母性であるか、または処女的なものにならざるを得ないと思う。
(ここで「釣り合う」ものを探ってしまうのがおそらくは少年的な目線なんじゃないか、という気がする。そういう意味では、現実世界の自身のままならなさに対する回答が物語世界において表現されていくのかもしれない?)
「黒歴史」などと嘯いて少年時代の内面世界を客観視しているかのようにふるまったり、大人になった自分のペルソナを通してあらゆることを見ようとする気持ちがあるとして、そう言う自分を少年の頃の目で見たらまた何が見えてしまうのか。
書いていて苦しくなってきたぞ。