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日記だよ

依頼に対して期待通りの行動が取られなかったときのフィードバックが下手問題

自分ごと感の問題なのかも。

例えば、チームメンバーに何か依頼をして期待通りの結果が出てこなかったとする。

「ああおれが伝え方が悪いのだ。どこが改善ポイントだろうか。きちんと相手に必要な情報は提供できていただろうか。確認ポイントをもっと早く細かく設定していればよかったのでは」というのは自分ごととしてものごとを捉えていますね満点となるのかもしれない。

ここで、依頼を受けて期待通りの結果を出さなかった人からの視点を考えてみると、

「依頼に答えて結果を出したが、相手がなんか落胆していて、あまつさえ、空を仰いで我が身を嘆いている。この結果は成功だったのか失敗だったのか。俺は何をどうすればよかったんだ」

と宙ぶらりんの状態になってしまうのではなかろうか。

それはよくない状態だとわかる。

依頼に対して合致するアクションが行われなかったという、「依頼者」の当事者性を捨て去って考えると、これはコミュニケーションのエラーの可能性もあるが、どちらかのミスである可能性もあるので、お互いに自分の期待と理解を開示するのがよろしかろうという気がする。どちらにとっても残念な結果だ。両者期待した結果を得られない。改善したい。

とりあえず自分ごととして捉えておけば良いというのも実に安易だなと思う。自分はその安易な選択をとりがちだなとも思う。これは本当によくなくて、直そうとしているがなかなか直らない。直感的に相手の思考やロジックにミスがあるな、以前説明したことを忘れているな、と思う場合であっても、曖昧に、「結果を成果として認めない」という形で、間接的に伝えるようにしている気がする。そういう時がある。そして相手に責があるという直感を隠したまま「俺がこのような結果に対する評価をしていることから察してくれ・・・!!!」と気配には出ているという困った状態なんじゃないか。

相手を否定し続けたくないという気持ちからこれはきている。「そもそも」という、相手の問題の捉え方、考え方に対して否定的なコミュニケーションを取らないといけないときだ。これは本当に精神を削るのでいやだ。いやなので、避けている。避けた結果が上記である。ぜんぜんだめです。

価値観やものの考え方に対して基本的なところの一致を前提に置きすぎているのかもしれない。「この前提から当然このように論理が展開し、こういう結論が出てしかるべきだ」という論理が共有されている前提である。そこがズレているとそりゃ厳しい。

いっそ「期待する仕事の内容、期待する行動、期待する成果のフォーマット」までワンセットで例を用意するといいのか。いや、それは結局「依頼者側の落ち度」にものごとを収束させてしまっている気もする。。