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日記だよ

D・カーネギー「人を動かす」メモ (1)

若い頃に読んだ時と印象が違っていて面白い。いいこと書いていてさすがはDの一族である。

読んでたのはこれ。

序文

カーネギー教育振興財団の後援で行なわれた調査で、重要な事実が明らかになりました(後にカーネギー工科大学〈現カーネギーメロン大学〉の調査でも確認されています)。技術者の場合でも、その人自身の技術知識は、収入増加の要因の15パーセントに過ぎず、残り85パーセントは、対人技術と個性、そして人を動かす能力に起因すると言うのです。

これ自体は納得感のある話で、技能よりコミュ力、みたいな対立軸ではなく、何かが不足していることが決定的な差を作っている、ということなんだと思う。

有名な「七つの習慣」とかでもそうなんだけど、この種の書籍では序文でたいてい多くの成功者のエピソードから抽出したエッセンスなのですとか統計的に裏付けがあります、というところから入る。それ自体は事実なのだろうけど、自分はひねくれているので、なんとなくケッと思ったりすることあります。いや、ケッと思うだけで、洞察に富んだいい内容だなと感銘は受けるし影響も受けるし人にも勧めたりするのだけど、それはともかく、ケッとね。わかる?(わからなくてよいです)

本の完成までは、特別な過程をたどりました。まるで子供が成長するようでした。何千人もの大人たちの経験によって育まれていったのです。ルールを、ハガキより小さいカードに印刷したのが始まりです。次の季節には大きなカードに印刷し、後にそれが束ねられ、やがて小冊子のシリーズとなっていきました。

本の成長過程が面白い。このようにして一つのドキュメントを育てていけるのは素敵なことだなと。個人的には「カードに印刷されたアイディアの束」とか「小冊子のシリーズ」を見てみたい。鋭いかもしれないけどまだ散漫な状態の思いつきやメモ書きと、洗練され大ヒットした書籍の形の間の過程に自分は関心があるのだな、と読んでいて思いました。

蜂蜜が欲しければ蜂の巣を蹴るな

非難は逆効果です。非難された人は、自己防衛と自己正当化に走るからです。非難は、相手のプライドと自尊心を傷つけ、かえって反発を招きます。

ルーズベルトはタフトを責めましたが、タフト自身は自分を責めたでしょうか?もちろん、そんなことはありません。「ほかにやり方があったとは思えない」と述べています。

シンプルに、非難することは、相手の行動を期待する方向に動かす効果は期待できない、ということが語られている。倫理や感情ではなく、単に「人は非難されると敵対的・防衛的になる」ということを事実として扱うなら、敵対的・防衛的にしない方がいいよね、という説明だと思う。

手紙を送れば、リンカーンの気持ちは治まるかもしれませんが、ミードは自分を正当化して、リンカーンを逆恨みするでしょう。やがて指揮官として役に立たなくなり、軍を追われることになるはずです。

そこ断定するのかよ、ってちょっと面白かった。ただ、強く非難する手紙を受け取った将軍が「そうか、なるほど私が失敗してボスを落胆させてしまった。よりよい戦略を立てられるようにしっかりと働いていこう」という心境になるよりはリアルではあるなぁ。

「人を非難する」という行為の奥底にはいっさい踏み込まず、ただ冒頭で掲げた、「成功のために必要な人を動かす能力」の観点においてどうであるかのみにフォーカスしているので切れ味が良い。全体的に言えることではあるけど。

人を動かす最大の秘密

シュワブは断言します。「私は、世界中で多くの優秀な人々と広く交流を持ってきたが、どれほど優秀で地位の高い人だろうと、称賛されるより批判されるほうが良い仕事ができたり、さらに努力できたりする人は見たことがない」

皮肉な言い方で、こういう言い回しはよく見る。「人間は圧力をかけられても思考速度は速くなることはない」とかそういうやつ。まあしかしそういうものなんだろうな、という気もする。

カーネギーも裏表なく人を称賛しました。墓碑にさえ人への称賛を残そうと、自らこのような碑文を書いています。「己より賢い者を集めし者、ここに眠る」

一流の人は自分より優秀な人を採用できる、みたいな話とも通じる話かなと読んだ。褒める、賞賛する、というような行為を、己より低い人間に与えるものだと思っている人、感じている人は一定数いる。そうではないと思っていても、「自分には凄さがわからないから」と褒めるのを控えてしまうことはありそう。

あるいは褒める・賞賛する姿勢を見せることが、自分の無知を晒すことになってしまうから避けるというのもあるのかも。心理的安全が損なわれている状態というのはそういうところに繋がってもきそう。他人の知識に関心したり、業績を褒め称えることは、自分の地位を貶めることにつながってしまうために慎重にならなければいけない、という抑圧が通奏低音のように流れているとしたらとてもヤバい。本来は複数のメンバーがお互いを強化できるところをスポイルしてしまっている。

俳優のアルフレッド・ラントは、映画『維納の再会』に出演した時、こう言いました。「自己肯定感への栄養ほど、必要なものはない」

自己肯定感の不足を空腹と表現するのではなく、それを満たすものを栄養と表現するのはいいですね。

私たちは、子供、友人、従業員の肉体には、栄養を与えているかもしれません。しかし、彼らの自己肯定感には、どれだけ栄養を与えているでしょうか? もし家族や従業員に6日も食べ物を与えないでいたら、犯罪のように思われるでしょう。ところが、人間が食べ物と同じくらい渇望してやまない、尊重の気持ちとなると、6日でも6週でも時には60年でも、与えないままにしているのです。

世界を味方につける方法

この節は例がよかった。バスケットボールの話(お前がバスケットボールやりたいなんて興味がないよ)とか、おねしょする子供の話(自分が大人として評価され、手に入れたベッドでおねしょするわけにはいかない!)とか、取引先に対する無礼な手紙の話(ばかか!私が住宅ローンや植木や血圧を心配している時に、秋の落ち葉みたいにあちこちに手紙をばらまき、返事を書けと頼むその厚かましさ)とか。

そういえば蜂蜜の節でも手紙の話があった。カーネギーさんの時代ではみなこまめに手紙を書く。

30歳の父親の視点を、3歳児に求めるのは無理だということは、少し考えれば誰でもわかります。

 

もちろん、あなたは自分が欲しいものに関心があります。その関心は一生続きます。ところが、あなたが欲しいものには、誰も関心を持ちません。誰でも、自分が欲しいものだけに関心があるからです。

 

つまり、他人に影響を与える世界で一つだけの方法とは、相手の欲しいものについて話し、それを手に入れる方法を教えることなのです。

繰り返し「他人はあなたに興味がないので、他人の興味のある話をするべきである」、という原則が説明されている。

政治家のウィリアム・ウィンターは、「自己表現は、人間に不可欠だ」と述べました。この心理をビジネスに応用してみましょう。素晴らしいアイデアがあれば、ほかの人に、そのアイデアを熱し、かきまぜてもらうのです。彼らはそれが自分のアイデアであるかのように感じ、おかわりまでするでしょう。

ここちょっと面白いですね。「彼らは自分のアイディアのように感じる」のをストレートに肯定的に書いている。これはもちろん、自分ごととしてアイディアを考えてくれる、ということもあるだろうし、いいアイディアが自分から湧き出てきたと感じる時に自己肯定感が高まるのかもしれない。