苦労している若者を見ると、がんばれ、と思う。それはもしかしたら、いずれ超克できるものなのかもしれないけど、できないかもしれない。その問題をなんとか内部に閉じた状態にしておくために、常に心理的には高いコストを支払っているだろう。それは生存のためのコストに近いものだと思う。その環境でやっていくために支払っているコストは、当然だけど、人によって違ってくる。
うまく合わせようと無理して破綻するのを繰り返すのは大変である。自分はすっかり諦めに入ってしまっていて、
- 「感情がわかりづらいかもしれないので言葉で聞いてみてください」
- 「人の気持ちを想像することはできるけど他の人と同じようにはできません。推論過程が違うだけで無視しているわけではないです」
- 「わたしは常識はないが学習はできるので気になることがあったら教えてください」
- 「あなたがいう我々やみんなという言葉にわたしが含まれているか疑わしいので確認させてください」
- 「わたしはとても忘れっぽいですが軽んじているわけではないので話したことを忘れていたら突っ込んでください。大体その場で思い出してその場で考え直して同じ結論を出すと思います」
と繰り返して生きている。これは明らかにおかしな人なので集団との親和性は高くない。それはそうだ。あまりうまくいかなかった人間の現在地であるということでひとつ。