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日記だよ

「仕方がない」を減らしたい

直感的に「これやればいいじゃん」からスタートして、それを阻んでいる障害を取り除く。そういう仕事スタイルになっている。

だいたいの職場では、いろんな人が「これやればいいじゃん」「こうすればいいのに」というのを抱えていて、でも「これがあるからできない」と言って立ち止まっている。その、「これがあるからできない」をとりあえず除去してみよう、というスタンスで活動することが多い。多くの場合、できない理由というのは複合的で、別のできない理由というのが出てくるものであるが、そしたら新しく出てきたできない理由を除去にかかる。

例えば?

ある施策があって、それができない理由が「費用が高すぎるので許可されない」だとしたとき、

  • 可能な費用範囲で実現可能な代替策はあるのか
  • 費用を説明不可能だとしたら、別の部署と合算したら説明できたりしないか
  • かかる費用を圧縮する技はないか

みたいに多方面から考えることになる。

素朴な集団では、このあたりの議論がそんなに総合的ではなくて、予算があるから予算内でやろうとか、予算は売り上げとか利益の金額からシンプルにこのくらいだったらいいかなーみたいに計算されるとか、そういう世界観なのだけど、それだとスピード出ないから今これをやることで将来の利益このくらい増えるよねという青写真とセットで会話しようぜというスキームを導入してやっていったりする。そうすると、お金出す側は未来の話されても全然精度悪いじゃないか、となったりするので、じゃあ費用については実績から予測立てられるようにしますね、となる。

取り組んでいる問題のかたちはすでに「ある施策が費用の問題でできない」ではなく、「未来予測をベースに投資判断できない」となり、そのあと「実績から予測を立てられない(と思われている)」に変わっている。

予測できるように足元を整えて、さあその施策を推進できるのでは? となるのだが、そうしたら、今度は実際に施策を推進しようとしていた人たちが「いやあ、なんか数字見えて期待利益と照らしてみたら、費用抑えられても、あんまり嬉しくないなって...」なんて言い出したりする。事前にわかってよかったですね。

…自分の仕事はいったいなんなのか。初手は「ある施策が費用が高すぎるのでできない」を改善しようとすることをスタートラインにしているんだけど、「ある施策」とやらを実行することを目的としているわけではなかった。それを目的としているなら自分の仕事は失敗なわけです。実行されなかったから。でもそうではない。と思う。結論が一緒でもよくて、その背景が「許可されない」だったのが、「妥当なロジックで考えたらNGだなと判断した」になってる。大きな前進なわけです。次からやり方は変わるだろう。

やるべきだけどできない、必要ないけどやっている、そういうのを潰していくのが強いて言えば自分の仕事であろうと思っている。やるべき、とか、必要ない、という判断には主観とかこうであってほしいという願望が入り込む。これはロジカルな話ではない。感情的なもので、しかたがないな、という諦めやつまらない気持ちを減らしたい。うまくいかなかったときに素直に悔しいと思えるようにしたい。そういう感情の世界へと仕事空間を変質させたい。まあ、そういうモチベーションで活動している。

困るのはビジネスマン向けアンケートでの職種とか自分の立場みたいなやつを選ぶ設問で、転職サイトとかもそうなんだけど、なんだろう...となってしまう。通りすがりのサラリーマンですよ、みたいなそういう感じでひとつ。。