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日記だよ

「マネージャーは役割であって偉いわけではない」の「偉い」ってなんだろうか

裁量が大きく、相手に対する評価などでの影響力が大きい場合であるとか、現場のストレスから分離され余裕があるように見える人は、「偉い」に相当するように見えるのが当然なのではないか。

えら‐い
【偉い・豪い】
1.
《形》
他(の水準)を抜いて、まさっている。
2.
[偉]
品行や経歴や才能が立派だ。すぐれた。
 「カントより―哲学者」
3.
[偉]
地位や身分が高い。
 「―方のお越し」
4.
[豪・偉]
程度がはなはだしい。
予想を越えて大変だ。
 「―事になった」
激しい。ひどい。
 「―寒さ」

何を言いたいかというと、実質的に存在するなんらかの地位的な勾配とそれがもたらす影響を、感じ取る側の責任に帰してはしまわないか、ということである。それを受けて側が感じ取ると、そんなふうに言語化されなくても、なんか納得いかないな、となりはしないか。メンバーが「マネージャーは偉い人だから」などと思う場合の隔絶は、マネージャーというのが身分制度で上位にあるのだ、ということを別に言いたいわけではないだろう。

現代において身分的なものを感じる瞬間というのは、守られ度合いなのかな、と思う。それを意識するということは、だいたいが「守られてなさ」を意識する時だ。そこで、マネージャーは偉いわけではないんだよ、というレトリックでケムに巻かれたという印象を発生させないか、みたいなことをちょっとだけ考えている。これはもう会話の文脈によってしまうんだが。