この部分はたぶんうすうす気づいている人は多いと思うけど、社会全体に「序論」が増えてしまった。コンビニで「支払う前に支払方法を決める」「レジ袋の有無を決める」というのと同じような現象が、かなり普遍的に見られる。大学でも学びに入る前に、「~の使い方」をやたらとやらせる。一つ一つは「い…
— Mineo Takamura・髙村峰生 (@mineotakamura) 2026年4月12日
学ぶ前に価値や理屈を理解できない種類のものごとってのはいろいろあって、まあ自転車の運転とか水泳とかは題材にあげられる。柔道の受け身とか。観察や説明では理解できない。
「子供のころから消費者として教育を受けた結果、『まず私がそれを学習する価値を、私にわかるように説明してください』という姿勢をとることが良いと学習してしまう」という話を書いていたのは内田樹だっけか(「下流社会」? うろ覚えだ)、まあそのような精神性を身につけてしまった結果、自分がその価値について納得できなければ学習するコストを「支払うべきではない」と感じてしまう人がけっこういる。けっこういる、というか俺もお前もきっとそうなのである。ボードリャールも似たことを書いていた。
これは、理解できないことに取り組むにあたって、不当なリスクを負わされているという感覚とかにつながっているんではないか。
説明する側もコストゼロではないので、いったん広く説明をしてしまえば、それを前提としたコミュニケーションをとるのが自然だ。したがって、あらゆるところに、あらかじめ学んでおかなければいけない「序論」があふれることになる。ところが人間の認知能力はそんな無限にはないので、すると、どうなるんだ... 「そんないっぱい書かれても見ませんよ」という話になるのではないか。そうして、わかりやすく太文字で説明されたことしか読まれなくなってしまうのではないか。破滅です。