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日記だよ

人生の物語の強さ

自分自身によって絶え間なく継続的に自分に物語を与えなければいけないのはとても大変なことだと思う。たとえば、「モチベーションがあがらないのでこの仕事ができない」という人は、湧き上がる内部的な自分のモチベーションによってしか手を動かせない。何かをするために、自分のエネルギーを大量に必要とする。何もしないようにする慣性が強く働いている。なぜ自分はこれをするのか、との問いかけが続いている。

それを必要としないのは楽なことだよな。楽、というのはコストが低いと言い換えてもいい。コストが低いことと強い、って言葉の雰囲気はあれです。超伝導すごい、みたいな。あるいは原点との距離が0だとつまり原点なので安定感すごいぜ、とか。

まあとにかく。

組織に強力にコミットする人、子供や家族を養い育てる人、親や一族や国家を第一に置く人などに通じる、ある種の断定的な強さは、その自分自身に依らない物語の強度が背景にあるのかもなあ、などと思うなどしたのでした。

反対に、そういった強い物語に依存せず、自分自身によって強くモチベーションされている人は本当にすごいわけです。その無尽蔵にも見える位置エネルギーは理解が及ばない。

たまに自分で描き出したであろうそれを、無自覚であろう振る舞いで、外側にある物語であるかのように考えている人もいるんだけど、矛盾や破綻が生じないかぎりはそれも強力なメソッドだよな。意図的にそれを他の人に伝播させて巻き込める人もいる。カリスマと呼ばれる人はそういうパワーがあるのじゃないか。