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日記だよ

裁量と政治、誠実さ

ある種の裁量がほしい、という話と、それを得るためには政治が必要で〜みたいに言説に触れたので、ちょっと思ったことをメモしておく。

裁量が欲しいというのは、お前の判断より俺に任せた方がうまくいく、というメッセージという意識で生活している。

  • 「一般的に言って、自分に裁量を与えるべきだと思う」

これはちょっと他人事すぎる。自分が裁量を欲しいのはなぜか。その方が自分の成果や、あるいはチームや会社の成果が大きくなると考えているからであろう。そうでなければ、どうしてその方がよいのか、を説明できない。

どうしてその方がよいのか、を説明できない意見というのは強度がないために、ぶつかり合ったら負ける運命にある。「あなたに裁量を与えない方がうまくいくと思います」に反論できないといけない。

もちろん、強度がなくても意見を通すことは可能で、それが社会的な力である。「自分の意見が通るタイミング」を見定めて意見を放つなどの技がある。自分の意見が通るタイミングを他の人の利害を調整して生み出すこともできる。もしかしたら、意見を自分で発する必要すらないかもしれない。政治と呼ばれるのはそれだ。

積極的に政治的に振る舞うのはあんまりいいとは思っていないが、周囲に、無意識あるいは意識的に政治的に振る舞っている人がいる場合は別である。その場合は天秤を公平に戻すためにある程度の政治が必要になる。(天秤が公平でなくてもいい、という考え方はもちろんある。ただ、それは多くの場合、職務や自分に対して不誠実であると思う)

政治はそもそも自然に、無意識に、生み出されるものだと思う。利害や感情が組み合わさって、意見そのものの是非ではなく、状況によってものごとが決まる、あるいは力を受けることはある。それが不適切だと思ったら、働いている力学をなるべく理解して、うまくやらないといけない。

ある目的を持たされた人の集まりの中で活動するとき(会社などはその典型だと思う)に、そういうことが頭の片隅にいつもある気がする。

これはロールプレイなので、本心や内心、自由意志みたいなやつはあまり関係ない。