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日記だよ

日記

仕事上、会社や上司との関係から生じるストレスを全部パワハラって言葉で現像してしまうのはさすがに雑すぎね? と思うし急性の反応を、パワハラでなければ今度はハイセンシティブであるとかADHDのようなラベルで説明するのもなんかおかしいなという気がしている。

おさまりはいいんだけど。

ただの凸凹の衝突をあたかも誰かに責任のあるよくないことだと扱っているような気持ち悪さがある。この気持ち悪さは仕事外でもよく感じるところで、例えば「ご飯ある?」と聞かれたことを「私がご飯を作る係だと決めつけられている!無神経すぎる!」とエキサイトする人とか、「このコードはおかしいですね」と指摘を受けたときに「ああ、なんでそんなに詰めた言い方をするんだろう。傷つくな。この人はこちらが傷ついていても気がつかないのだろう。でも周りは平気そうにしているから僕があわせなければならないんだろうな」みたいに展開する人とか。

対立や義務や権利の構造を見てとって、義務の不履行であるとか、権利の無視であるとか、対立構造における権威勾配であるとかに物事の構造を当てはめて、それを自明なものとしてしゃべる言い方、それを自明なものとして扱ってしまおうとする言い方が引っかかっているのだろう、と思う。もっと言えば、なんらかの加害・被害構造の中で被害者としての立ち位置からの発言をする姿勢である。ただこれは避けるのが難しくて、自分にとって違和感のないフレームだと引っかからないのだ。だから自分もやってしまっていると思う。

この話に別にオチはない。

10万円台のブックシェルフスピーカーが3組揃ったがそれなりに性格が違う

ブックシェルフスピーカーは本棚に収まる感じってのが基本概念だと思うけど、実際に本棚に収めるのはいまいちっぽい。だってスピーカーの周囲は壁から10cmは離しましょうとか書いてるもんな。本は壁ではないなんてそんな言い分は通らない。さてどういうわけか去年の秋から今年にかけてじわじわとステレオスピーカーが増殖しこんなことになってしまった。世間では鉄板らしいB&Wがない。これは・・・なんでだろうか。なんでだろう? わからない。

リンク先はシマムセンの販売ページなんだけどAmazon Payが使えるので会員登録などの手間がなくうっかり買えます。とくにアフィリエイトなどは設定していない。

Dali / Menuet SE (公式)

  • フロント2ch高音質にすれば全ての用途をカバーできるのではないか計画で購入。これが沼の入り口だった。
  • 実売18万円くらいのはずだと記憶しているが円安のせいかいまは20万円くらいかも。定価も上なのでこれを並べるのはアンフェアかもしれない。
  • 妻が気に入って手放さない。楽器の音がするという。なんとなくわかる。
  • はっきりと声やソロが前に出てくるのがわかる。音量をそこそこ上げていると「音を出す前のタメの音がする」という意味のわからないことを妻が言っていて、まあ自分にはわからないのだけど、なんか緊張感がある音だな、という感想である。L52 Classicと比較すると雰囲気の違いが歴然としている。管楽器で吹いてる人が頑張ってるのが目に見えるみたいな鳴り方をする。
    • この「声の前への出方」とか「楽器の音っぽさ」がインシュレーターの素材とか壁との配置によってはっきりと変わるので、3台の中ではいちばん面白いような気がする。
  • リビングのちょっと広くなったところにアナログレコードと接続して置いてある。酒飲んでる時のBGM用途である。
  • 現在は JBL SA750につないでいるが、たまにAIYIMA Tube-T9 + AIYIMA TUBE-T3 に繋いで遊んでいる。

JBL / L52 Classic (公式)

  • JBLのアンプSA750を買ったので組み合わせて面白いのではないか、ということで購入。
  • 実売10万円くらいだと思う。もっとも手元では新しく、エイジング十分というわけではないし、個性が掴めているかというとそうでもない。
  • 3台の中だとサイズは一番大きいが、L82 Classic, L100 Classicなどの先行モデルはもっとデカい。形状がよく似ていてサイズが違うのが面白い。
  • 奥に広がる音がする。声よりリズムが前に出る。スピーカーの箱の中で音が鳴っている感じがする。左右のスピーカーの間に仮想的な木製の箱があって、その中で音が響いているイメージ。
  • 音量上げて距離をそこそこ取ると急に音がクリアになる感じがする。デスクトップスピーカーには合わないかも。
    • だがしかしデスクトップにおいているのであった。スピーカースタンドの上に十円玉積んで置いていて、壁にかなり近いイマイチな環境になっているので、もっと活躍させられるような気はする。
    • もっと大きい箱で鳴らしていてバランス取れているものを、そのままの鳴り方で小さくした、という感じなのかも。だからセッティングとしては小さなスピーカーとして扱ってクリアな小さい音場を作るというよりはでかい空間でどんどん鳴らすほうがいいのかもしれない。よく「サイズを超えた音がする」みたいなこと言うけどそれとは違うような気がする。上手く言えないが。
  • 現在は Marantz CR612 に繋いでいる。

Sonus Faber / Lumina1

  • Lumina3に合うリアスピーカーとして購入。
  • 実売10万円くらいだと思う。Amazon とかでは売ってない。
    • 高級ブランドの最廉価モデル、ということで他2台とはなんとなく風情が違う。
  • 個人的には一番素直な音がする。スピーカーの箱で鳴ってるというよりそのあたりの空間で音がする。録音されてない音は聞こえない。いちばんオールマイティな感じ。
  • デスクトップに置くのはハマりそう。サイズも小さいし低音が出るバスレフポートが下部にあって前方にガイドされるデザイン。
    • しかしシアターセットのリアスピーカーになっているのだった。シアターセットはフロントが同シリーズのトールボーイ Lumina3 なので適正な構成だとは思うが、なんとなく「主役張れるプレイヤーを控えに回している」みたいな気持ちはある。
  • 現在は Marantz NR1711に繋いでいる。

餃子が食べたくて仕方がなくなったので皮とひき肉を買ったらふるさと納税の返礼品で餃子が山と届いた

「監視カメラでもあるんじゃないの?」という話をしていたが、冷静に考えると、監視カメラで遠くの自治体の人が餃子餃子と俺が騒いでいるのを見つけてから送るのをセットアップしても流通的に間に合わないだろう。したがって、これは先読みをされていたと考えるのが正しい。餃子が食べたくなるバイオリズムをAIってやつが読んだか、もしくは周辺環境、テレビのニュース、気温変化などの材料で読み切られたのか。いずれにしても、あと1日早く届けてくれよと思ったのだった。

HEOSはヒオスと読むらしい

HEOS(ヒオス)とは、簡単にいうと「デノン、マランツが開発したネットワークオーディオ再生の総合的再生機能」で、①音楽サブスク(音楽ストリーミングサービス)の「Amazon Music」「Spotify」「AWA」などを音源にして、②HEOSアプリをインストールしたスマホタブレットを使って、③HEOS対応オーディオ機器で、簡単に選曲/再生できる。

ちょっと実際のとこが分かりづらい。

  • それは Denon/Marantzの(両者は母体は一緒らしい)アンプに仕込まれている機能であり、音楽ストリーミング配信サービス*1に接続して音楽再生するもの。選曲はアプリでやって、接続して再生するのをオーディオ機器本体がやる作りになっている。
  • いくつか良い点がある。
    • 単純にネットワーク上を流れるオーディオストリームが半分くらいになって便利。
    • 再生開始したあとはMacスマホが動いている必要がない。
    • AirPlayやBluetoothの転送規格の制限を受けない。
  • イマイチな点がある。
    • Apple Music非対応。
    • Amazon Music HD対応がハイレゾ対応文脈でかなりの売りなんだけどUIが残念でプレイリスト機能とかキュー、再生履歴関係が軒並み使えない。
    • いや全体的にHEOSアプリそのものはかなり微妙。
      • ストリーミング再生だけではなくイコライザやトーンコントロール、スピーカーの切り替えなど、機器固有の設定項目をHEOSアプリから変更できたり、多機能なんだけど、導線がとっちらかってる感じはする。

EchoとかGoogle Home使ってると音声コントロールももちろん便利なんだけど、「音楽を飛ばす」という構造が不便に感じることが多い。これは「音楽再生を指示する」に限りなく近い体験をデザインしていて、思想はとても好感が持てる。ただオーディオ機器の総合フロントエンドみたいな側面との統合があと一歩感があって、手放しで褒める感じにならないのだなあ。

*1:だけではなくスマホ本体の音源とかも統合したUIから利用対象にはできるが、主にストリーミング対応で使う

失敗について

失敗に対する姿勢について考えている。

この失敗というのは、全滅エンドではなく友情エンドの話である。TrueエンドではなくGoodエンドの話である。狙った結果が十分えられなかった時の話である。

例えばプロ経営者が我が社の株価を10倍にしてくれと雇われる。その人は任期を務め上げ、さまざまな環境要因の中で株価を3倍にした。さて、これは失敗なのだと思う。ここでの定義はそうだ。

これを失敗として向き合うかどうかは人によりそうである。外に対してと、自分の中でそれぞれ違うかもしれない。経営者と株価の題材であれば議論が湧くだろう。では、日々の生活に置き換えてみよう。学校のテストとか、仕事の売り上げ目標とか、早起きの成功確率とか、ダイエットとか、筋腫とか、なんでもいいけど。失敗と捉える範囲はどうだろうか。いや、そもそも失敗とは何か。

成功とはいえず、否応なく改善を要すると判断されることを失敗と呼ぼう。ここではそうする。「改善が可能」ではなく「改善を要する」である。つまり失敗すると改善タスクが発生する。言い換えると、改善タスクが発生しないなら失敗ではない。失敗したのに改善タスクが生まれない、積まれないとしたら、それはなんかのサイクルが回転不全を起こしている。

では、自分のやることなすことについて、それを自分がどう捉えているかと考えてみると、改善タスクが発生するポイントはあんまりないのだということに気がついたわけです。「次からはこうしよう」はけっこうあるのだけど、決意には未来に対する強制力はないので、割とダメなやり方を繰り返したりする。次の機会がやってくる前に対策を立てることはあんまりない。じゃあ、やってることのほとんどは成功に終わっているのか、というと、なんかそうでもない気がする。つまり、成功でも失敗でもない、灰色の領域にほとんどの仕事は着地している。少なくとも自己認識の範囲ではそうなんだと思う。

よく「成長のためには失敗が大事」という言い方をしたりするけど、これには語弊がある。つまり本人が手痛い挫折に繰り返し直面するべきだと別に言いたいわけではないのだ。今回と同じやり方はしないぞ、次はこうやってもっと良くやろう、という向き直りが多く起こるといいよね〜ということを言いたいのだ。そうだそうだ。

歳をとると失敗が減る。しかしそれはいいことではないと思う。なんとなく、成功でも失敗でもないグレーなところを広げてしまっている気がする。自分の行いの結果をただの現象と捉えず、成功なのか失敗なのか、しつこく考え続ける元気が衰えなければいいなぁ。そんなことを最近。