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日記だよ

小説「タイムシップ」

読みかけだったものに手を出した。スティーブン・バクスター作。ウェルズの遺族から許可を受けたタイム・マシンの公式続編。面白かった!これは良いものです。なんで読みかけのままにしてあったんだっけなぁ。

今手に取ったのは、kindleジーリー・クロニクルなかったっけ?と思って探したのがきっかけ。ないじゃん、タイムシップしかないじゃん、あれ読みかけで放置してない?という流れでした。ジーリー・クロニクル探したのは、なんでだったか。覚えてない。運命?

入り方は、まさに「タイムマシン」のその後、という形である。なんとか現代に戻ってきたけど、これで終わりにしてたまるか、未来でやり残したことがあるのだ!と言って再び時間旅行に出る、という、素直な導入から、「あれ、なんか前回きた未来とちがくない?」と戸惑い、パラレルワールドの混沌に突っ込んでいく。徐々に線を踏み越えるというか、こっから先に行ったら話が発散するだろってラインを超えていく。行ったり来たりしている間に行き場を失った感が強くなり、不思議な相棒に出会い、そして歴史改変に手を出してしまい、とどんどん展開していく。

2時間の映画に収めるのは厳しそうだけど、映画向きなシナリオだな〜。SFを下敷きにファンタジーをしっかり挟んでいる感じ。荒廃した未来、砂漠と雪原、赤色化した太陽、のモチーフは当然繰り返し現れて安心してしまう。

映画「THE GUILTY」

見た。いや、聞いた?

良作。

本格的な会話劇だった。舞台は警察の緊急ダイアルの担当部署みたいな二部屋と最後なシーンの廊下。「はい、緊急ダイアルです」と主人公はかかってきた電話に出て、状況や住所を聞いて、必要なら緊急車両を手配する。そう言う仕事をしている。それが本職というわけではなく、どうやらなんかの事件を起こして裁判中であり、一時的に現場を外されてこの仕事についているらしい。そういうことが会話の端々からわかる。基本的には会話から背景を推測していくというシンプルな作りなんだけどとにかく演技がうまい。

あとさ、とにかくヘビだよヘビ。何か悪いものはみんなヘビだ。取り除かなくてはならない。

 

Pythonのf文字列

s3path = f"s3://{bucket}/{item["Key"]}"

でKeyを囲むダブルクォートがSyntaxエラーになる。SyntaxError: f-string: unmatched '['

を眺めると、中括弧の中は python式なので書けそうなもんだけど、実際には " が出てきた時点で f-string が閉じられたと解析されているようだ。

f"s3://{bucket}/{item['Key']}"

ならいける。

映画「モルグ 死霊病棟」

見た。なるほど、と言う気分。

扉が勝手に開く、窓が開いてしまう、コップが動いたりゴミ箱がガタンとなったり蛇口が開く。勝手に電気が消える。不自然なタイミングで蛍光灯がパチパチ言う。そう言う不思議な話はたまに聞きますね。暗闇、誰もいない部屋でヒソヒソと声がする。声なのかどうか、よく聞くと自信がなくなってくるけど、なんか聞こえた気がする。そういう、伝統的な「怖さ」の文脈にラテンで軽薄な主人公が自業自得な悲劇をぶち込んでいる。ところで「衝撃の実話」実話成分がわからん。最後のコメント、あれで回収したことにするのは流石に無理があるのでは?

しかし思ったよりは楽しめた。うん。思ったよりは。。

実写ドラマ「カウボーイ・ビバップ」

見た。見たよ。最後まで見てしまった。感性が違うと言わざるを得ない。ただ製作者が原作に愛が溢れていることはわかる。最終話のあの曲、あの構図はずるいと思ったけど、おい、お前、ジュリア、お前だよ、この野郎(言葉にならない)

最後の倒れていく瞬間、「そうか、このシーン!」っていう期待と、「違う、俺はこんなものを見たくない」とも言える複雑な感情に襲われたけど、それをさらに裏切った変化球にびっくりした。感情が手球に取られている。

映画「コリーニ事件」

なるほど、となった。なるほど。

とても面白かった。まずはそれは記しておく。

 

感想を書けば即ネタバレであって、中盤以降はおそらくそういう展開になるのだろうな、と予想はできるのだけど、しかしまあストレートに切り込んでいるな、と思う。ドイツで有名な弁護士シーラッハ先生の原作なんだけど、先生の描くやつ絶対モデルいるでしょって感じで事件の輪郭が生々しい。

 

シーラッハ先生、Wikipediaで略歴を眺めると普通にナチに祖父が関わっていて、ドイツは当たり前だけど戦争指導者ではなくとも多くの人々がナチ党と縁を持ち、それこそ「他人事ではない」のだなと思わされる。別の作品も映画化予定たってるのだな。楽しみ。

フルリモートワーク、通勤のコストは下がったとして、労働時間内の効率がよくなっているか、というと別にそうではない、という気はしている。労働者の支払うコスト減は間違いないけども。

オフィスでの「無駄な」会話やコミュニケーションが減って、しかし成果が変わってない(増えてない)ということは、実は生産性下がっていそう。無駄なことが減って、生産的なことに充てられる時間が増えているはずだから。これは労働集約的な仕事ではない(決まった仕事にあてる時間がちょっと増えても成果につながらない)のか、実際共同で行う仕事の生産性が下がっているのか、どっちなんだろうね。社内でソロワークは効率上がったがグループワークは効率下がったというアンケート結果もあったなぁ。