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日記だよ

桃太郎 海の神兵

なる映画をAmazon prime videoで配信していたのでうっかり見てしまった。

 

調べてみたら有名な映画である。

 

16歳の手塚治虫さんが「日本でもこんな見事な作品が作れるようになったのか」と焼け跡の映画館で感涙感激し、アニメ作りを志すきっかけとなったという逸話を残す作品です

 

wikipedia にもけっこう詳しい解説があった。

ja.wikipedia.org

 

古典も古典、終戦間際の1945年(昭和20年)に公開されたアニメ映画であり、戦争を特殊なものでも悲壮なものでも、邪悪なものとも描いていないのは戦後の日本で生まれ育った自分にはむしろ新鮮ですらある。ストレートに大人の視点から語られると座りの悪さが先に立つけど、子供向けとして描かれているから素直に面白がれるみたいなところはある。

 

怪作「月に吠えらんねぇ」では戦争という異常事態に際して表現者たちがどのように関わり生きたかみたいなのが描かれていたけど、いわばその裏番組みたいな感じで楽しめた。アニメの物体の動かし方とか立体や光、影の表現がめちゃくちゃ丁寧で、白黒映画なんだけど森の木々が揺れて緑色の葉を逆光で暗くなるとき、結果的に葉は黒で空は真っ白なんだけど、そこで青空も緑の葉も見える気がしたくらい。すごい。キャラクターに落ちる影とかすごく鮮明だもんな。明るい光は影の濃さで表現されているのもわかる。

 

アニメの物体の動かし方とか立体や光、影の表現がめちゃくちゃ丁寧で、白黒映画なんだけど森の緑葉を暗い影に落とす青空の色が、一瞬見える気がしたくらい。すごい。キャラクターに落ちる影とかすごく鮮明だもんな。明るい光は影の濃さで表現されているのもわかるし。

 

物語は、まあ、特にないと言ってしまうのもよくないけど、これを見る子供達にこんな印象を与えたくて使っているのだなぁと言うのがよくわかる感じで、うん、当時こう言う空気があった、あるいは、こう言う物語が存在はしていたのだなと、それ以上の言及ができるもんでもないやね。こいつは別の作品の姉妹品であるとの言及がWikipediaに書いていたので、そっちも機会があれば見てみたいと思う。

 

松竹動画研究所の制作スタジオは東京・銀座の歌舞伎座隣のビルに設けられ、ひとつのキャラクターに一人のアニメーターが専従するという、今日では考えられないような贅沢な作画体制がとられた(作画スタッフ、木村一郎の談話より)。1943年3月に企画が立ち上がり、取材を経て製作が開始されたが、戦況は次第に悪化の一途をたどり、若いスタッフは次々と徴兵、徴用されて減っていった。その上、スタジオでは空襲警報が鳴る度に機材、動画などを持って地下へ避難し、警報解除後にまた作業を再開するなど非常に困難な状況の連続で、一時は公開も危ぶまれたという。また物資不足も深刻で、国策映画といえども製作に必要な資材の調達がままならなくなり、質の悪いザラ紙の動画用紙は利用が終わると消して新たな動画を描き、セルも絵具を洗い落として再使用するなどの大変劣悪な制作環境のもと、1944年12月に完成した。当初70名近くいたアニメーターは、完成時には15名ほどに減っていた。

 

Wikipediaより引用だけど、制作バックグラウンドがやけに壮絶。