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日記だよ

ChatGPTと対話をしばらく繰り返していて自分の言葉選びの自動的な働きに自覚的になった

正直な話、たしかにAIと大差ないところがある。つまり、こういう言い回しでこういう話をしたら、こういう構造の話が次に繋がるのが自然である、という感覚に引っ張られながら文章を作っている。今もそう。ある文章を書いている時、その後に続く言葉の列が連想される。それは言いたいこととか、そういうものとはけっこう無関係に、「こういう流れであればこう繋がる」という自動的な連想で、そこに対して事実であるとか主張であるとかを合成して言葉を生み出している。記憶も無限にあるわけではないので、長くなると最初の頃に書いていたことは圧縮されたり要約されていて、抜けもある。

多段階でそれをやってる。たとえば今、すぐ上でパラグラフを分割したけど、分割したタイミングで自分は前のパラグラフの要約と、次に言いたかったことの内的な問いかけと、前のパラグラフを終えた瞬間の文章生成のモーメント(とでもいうべき何か)をまとめて考慮して次に書くことを考えている。

気がついたら書くことが終わっている。じゃあ終わり。となることがある。そういう自動的な書き方をしているときの自分の文章はたぶん、GPT4.0bくらいの精度だ。「自分」というコンテキストがChatGPTさんより遥かに強くて、言語化以前のRAWデータが死ぬほど詰まっているので、ChatGPTさんよりも出てくる言葉に個性がある。個性というのは一般的な語彙や流れからの逸脱だし、世の中で既知となっているものごとからの距離だと思うんだけど、同時に自分が知らない「インターネットで既知なこと」とか同時に考慮できるコンテキストの量は機械の方が強い。その程度の違いしかないような気はしてくる。