本棚の隅から発掘して読んだ。一読して良かったは良かったんだけど、俺はいったい何を読んだのだ、という不思議な読後感ではある。クイズを仕事にするという設定、謎の生き物、謎めいた資料館、それぞれ裏に隠された大きな秘密などはなく、絡み合って一つの物語として完成するというようものでもない、そのものとして機能して全体となってる。大きな物語的な課題は示されない。
現実の世界では年始に大きな地震があり、能登半島の先の方が大きな被害を受けた。電車の路線もない、飛行機の便ももともと1日2往復くらいしか飛んでない、道路も細い山道があるだけ、という過疎地の復興についてどう考えるのか、と議論が盛り上がっている。東日本大震災からこっちの福島の復興もぜんぜん道半ばであるだろうし、最近だと熊本の地震とか、秋田の豪雨災害とかの復興の道筋もまだだろう。そもそも復興とはなんだ、と思う。風景や壊れたものを、単に元に戻すことではないだろう。などのことをもやもやと考えることが多かった。
本書にこんなくだりがあって、
台風や爆弾でめちゃくちゃになってしまった場所を元に戻すとき、あまりにも変わってしまったその風景を取り戻すには、どんな些細な手掛かりでも必要だった。いくら元の姿を覚えていたとしたって、ひどくめちゃくちゃに壊れてしまった後だと、なんらかのヒントがないと戻せない。前から住んでいた人に訊こうにも、体の中と外を揺さぶり続けられていたりして片付けにくたびれきっていると、人は細かいところを覚えていられないことが多かった。記録していた情報を吹き飛ばされてしまったこともあろうし、そもそも記録さえしていないこともある。結局はなんとなく以前の、ノスタルジーの補正のかかった記憶を見よう見まねで元の状態に似せながら、文化をあいまいにつぎはぎしている
いい悪いではなく、我々は何か失ったものを取り戻そうとして、結果的につぎはぎの全然違うものを生み出しているんだろうな、と思ったのだった。ノスタルジーの補正のかかった記憶をもとにしている、という指摘は鋭い。それは表層であり、ノスタルジーを生み出す原体験からはきっと遠いんだろうな、とかそういう。