ゴールデンウイークは会社のコーポレートカードと車の車検証といくつかの機材について自宅内で行方不明になっていだものをずっと探し回っていた。なんとか全て見つけ出すことができて心底ほっとしている。
こういうことはたまにあり、何度かは最終的に見つけ出すことができず「多分、何かの拍子に捨てちゃったんだろう」と結論づけるしかなかったこともあった。割と大事なもの、思い出深いものも無くしてしまうので油断ができない。
ものを無くしてしまうことについて対策は、といえば、定期的に確認するか、いつも見えるところに飾っておくしかいまのところはない。大事なものボックスに置いておくなどしても,普段利用しないと無意識のうちに扱いが怪しくなり、気がつくと散逸している。大事なものボックスが大きくなってくるとそれそのものの置き場所とか検索性が問題になって,分割して「よく取り出す大事なもの」と「普段使わない大事なもの」に分離しはじめる。そうなると危険信号で、何が入っていたのか記憶があやふやになり、探し物をするたびに全部出して全部戻すということになりがちで、それを繰り返しているうちに「明らかにゴミなものは捨てよう」などの気持ちが働き始め、あまり意識に上らないまま、気がつくと捨ててしまっていて、なんてことがありえる。想像です。しかし自分のことだからいかにもありそうに思う。
とにかく自分はものをよく無くす。そうしがちな人間である。という強い自覚を持って生きていくしかないのだけど、自覚や覚悟はさておき、実際大事なものをなくすと悲しいし、場合によっては仕事に支障をきたしたり地味に痛い金銭的ダメージをもたらしたりして困る。困るんだよなぁ。
今回は見つかってよかったとほっとしている。しかしゴールデンウイークは探し物をして終わってしまった。まとまった休みがあったのであらゆる場所をひっくり返す探索ができた、とも言える。ずっと「見つからなかったらどうしよう」と気が気ではないので、むしろ平日の無くし物よりも疲れたような気がする。
今回見つかったいくつかについては置き場所の整理を実施し、車検証は指差し確認しながら車の収納に、コーポレートカードは会社のものボックスに、その他の道具類についても置き場所をきめてやった。これらについては、少なくとも記憶が更新されている。しかし、注意がある場所に向くとその反対側に死角ができる。その死角で新たななくしものが、今この瞬間も生まれているのかもしれない。探し物はなんだろうか。それを予め知ることができないのが、人生ということなのだ(強引に締める)