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日記だよ

降格

- https://q.livesense.co.jp/2023/08/17/2019.html

部長級のポストを用意したんだけど部下もいなくて降格扱いと見做された、というエピソードを読んで、ふむと思ったのでメモ。

部下がいると、結局は部下に対して奉仕しないといけない感覚に陥る、ということがある。彼らの力を発揮させ、機会を与え、活躍させねばならぬという圧力を強く感じる。強い制約の中でパズルを解くことを要求される。時間が奪われ、自分の裁量で決めることができる範囲が狭くなる。

それに対して直属の部下が減り、要求も緩やかになり、給与変わらないというのなら、まさに裁量の拡大であろう。好きなようにして好きな成果を出せばよい。ただし、創意工夫と説明能力が求められる。

そう考えていくと、

われわれの共通認識の中のイメージにある昇格というのは、成果が出るレールのことなのかもしれない。そのポストに座ってそのポストの決まった仕事をすると以前よりも高い成果が認められる。そんな役職だったら俺も欲しい。確かに有利さがある。

自由度が高く、自己説明を求められる、という方向の裁量の拡大は、もしかすると「不利な方向への変更」と認識されるのかな。まあ難易度は上がっているのはそう。でも目覚ましい成果がでなくても給与保証されている中で、難しい仕事を自由にやれと任されるというのは、高く評価されている証であり、また貢献を認められた結果でもあると思うんだけどなー。職の「格」を動かせるお金とか社内での権限のみで計るならまた違う、ということなんだとは思うが。(ただし手応えが感じられなくなる問題はありそうで、自分は一度それで仕事を辞めている。オープンワールドと目的の自己設定みたいなやつは人を選ぶのである)

 

業界特有の役職軽視の考え方はあるかもしれない。転職のとき、「係長やってました」「50人の部下がいました」より「ヒラのプログラマーで、腕を見込まれて1500万もらってました」の方が絶対強そうだもんな。

 

うーむ。