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日記だよ

Re: 「ポエム」は「エッセイ」のほうが正確じゃない?と思ったが「ポエム」で良いかも

これを読んで、ちょーど読んでた本で似たことを思ったので覚書。

数日前からぽつぽつ小林秀雄と数学者の岡潔による雑談集である「人間の建設」を読んでて、これはガッと読んでしまうとすぐ終わるのでちょっとずつ進めているんだけど、まあそれはいいとして、

その中で以下のようなことを岡潔が言っているんですね。

情緒を形に現すという働きが大自然にはあるらしい。文化はその現れである。数学もその一つにつながっているのです。その同じやり方で文章を書いているのです。そうすると情緒が自然に形に現れる。つまり形に現れるもとのものを情緒と呼んでいるわけです。

... 略...

言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいという時には、ひとは熱心になる。それは情熱なのです。そして、ある情緒が起こるについて、これはこういうことだという、それを直観といっておるのです。そして直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ見向きもしない。そう言う人を私は詩人といい、それ以外の人を俗世間の人ともいっておるのです

芥川は詩という言葉が好きでした。しかし詩という言葉の意味は説明していない。私が大学を出て二年目に芥川は死んだのですが、私たち芥川の同好者が寄って話をするとき、もっとも話題になるのは、芥川の呼んでいる詩とはなんだろうかということでした。それは直観と情熱だというふうに説明すればわかるのじゃないかと思ったのです。

このあと、「小林(秀雄)さんは詩人だと言いきれます」と会話がされるのだけど、

IT業界でたまに書かれるポエムと呼ばれるジャンルの文章について、少なくとも書いている人が一定備えていそうな属性のような気がするな、と思うところがありました。ある文章が詩の体裁や定義を満たすかどうかというよりも、書く人間の情緒と直観が起点となり、それを伝えなければと情熱が生まれて、それを文章として形に残そうとする行為を詩とするなら、わかるものがある。

直観という言葉は「直感」あるいは「勘」とは区別されるもので、検索するとGoogleさんのサジェストで

直観とは,分析,比較対照や検証などなんらかの思考操作を経て間接的に対象の特質や関連性を認知・理解することではなく,直接的に知覚過程と一体となり,瞬間的に対象の特質や関連性,問題の意味や重要性を認知・理解する認識の一形式,およびその能力を指す。

このような定義が見つかります。

まず大きな全体を認識してしまう現象で、個々の積み重ねから判断するであるとか、読み取るといったことではなく、人間が見えないところを遥か彼方まで補完してしまう、自分に今わからないことについてもわかってしまう、というようなものです。

岡は「ある問題を出すときに、その答えはこうであると直観するところまではできます。できていなければよい問題ではないかもしれません。その直観が事実であるという証明が数学ではいるわけです。それが容易ではない。哲学ではいらないでしょうが」と言っていて、それに対して小林が「いらないという意味は、証明が数学的ではないというだけのことです。たとえば、命という大問題を上手に解こうとしてはならない。命の方から答えてくれるように、命にうまく質問せよという意味なのです」と返している。

IT業界の「ポエム」はそのように、書き手が問題と答えを同時に直観し、それを数学的ではなく情緒において納得し、他者へ伝える情熱でもって書かれるんなら、そこには詩があるのかもしれないなぁ、という。

まあ中には怪文書アジテーションのような、他者に影響を与える目的の種類の文書も含まれていて、あるいは直観や情熱を微塵も含まないアテンションを稼ぐためだけの文章とかも混ざりこむ傾向があって、これらもポエムとラベリングされていると、それはどうなのかな、とは思うんですが。