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日記だよ

文脈を知らない人にはひどい暴言に聞こえる言い回しってのがある

何かの古典の引用とか。

議論が行き詰まっている時に「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ!」と突然言い出したらびっくりするけど、「ああ、言い回しの解釈の違いだと言いたいのね」と伝わる文脈であればそう伝わるし、オッ進退極まったのですかと心配するか、言葉の選び方の強さに、議論を二分割して剣かパンか選べと言い出したのかと驚かれても不思議はないと思う。

海外の人間は聖書やシェイクスピアなどからとにかく引用する、それが当然の教養とされているって話をどこかで読んで、面白く感じたのだけど、詳細を忘れてしまった。

自分が読んだのはこの記事ではないんだけど、似たことを書いている。嘘ではないらしい。

数々の教養を武器として、ビジネスの重要な節目で引用や例えの言葉を使いながら交渉することは、アメリカのビジネスエリートたちにとっては日常茶飯事。なかでもよく会話に登場するのは宗教・歴史・社会。アメリカにおける三大教養といえます。

当然のように、引用や参照を駆使して大きな知識の海を背景に会話するとして、その範囲は相手とは完全には一致しない。知らない相手をきょとんとさせるのはいいだろうけど、意図がわからないままに言葉通りに受け取ると激怒されるような、相手を傷つけてしまうような文章を持ってくるのは多分、大失敗の類だと思う。言葉ってのは自分の意図した配置ではなく、相手にとっての文脈にも同時に位置付けられるものだから。

引用は、古典や故事からの引用であるとわかるようにするか、または外にある文脈を知らなくても文意が破綻しないようにするのがよいよな、と思いました。