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日記だよ

働くのが割と嫌いではない

働くというのは、自分にとっては「やりたいことに合わせてプログラム書いたり数字合わせたり状況の変化に構造を合わせるために不明な箇所を調べたり複数の人間の認識空間を読み取ったり予想したりして時間軸方向になんかいい感じになるよう段取る」ことであり、それを必要としている組織に対して「それやりますよ」と申し出て、やってあげてお金をもらうということである。

それで飯を食っている。

やってるとうまくなるし、次はもっとうまくやろうという気になる。毎回完璧には行かなくて、最善の手段が他にあったよな〜と感想戦をすることが多々ある。

同じ局面は2度とやってこないけど、なんらかのパターンはあるもので、以前の経験をもとに作戦を練る一連の流れがある。毎回立場ややること、やりたいこと、困ってること、障害物は違うので、共通のパターンを探し出す面白さや問題の形式をコネコネして知っているパターンに当てはめるというテクの使い所がある。

働くのが嫌いではないと書いた。素朴な感想である。強制されたり、主義主張と反するスタンスを取らされたりすることがあれば別だが、働いている上で幸いそんなケースはあまりない。もちろん、組織に属するロールプレイをしているわけなので完全な自分との一致もあり得ないんだけど、人倫に反したり絶対許せない、その振る舞いをすること自体に嫌悪がある、というようなことも避けられているので、これまで所属してきた組織に対してありがたいなと思っている。今も同様である。

もちろん、「仕事、大変だな〜つらいな〜」ってことはいろいろ発生する。そういうゲームに参加しているので、そういうものである。まーそこはそれ。たいていのことは一過性のものであることはわかっているし、「朝起きるのが辛いので人生には絶望しかないと結論づける」みたいな袋小路に入り込まないようには気をつけている。人生において面白いことを色々もたらしてくれる仕事って要素を自分でわざわざ台無しにしてしまうのはもったいない、と思っている。

嫌なことを嫌々やってるという自己認識は不幸すぎるので、なるべく避けたい。

とはいえ、いろんなめぐりあわせで「そうもいかねえ」という気分のときもあるはある。

あるよねーーー

そういうとき、やってることを好きになる、好きでやってる人のメンタリティを脳内で模倣するというワザを自分は多用する傾向がある。ストックホルム症候群みたいな感じだなという気もしなくはないが、さまざまな困難のもたらすネガティブな影響を緩和するのに有効だと思う。とにかく、嫌々やってるという自己認識の状態を自分は回避するというのをやっていて、それは精神の安定に一役買っていそうである。

(当然、自分にとって許容できない仕事の環境であればとっとと転職したりするだろうという前提がある)

 

連休の終わりが近づいてきて、各地で働きたくない!!って主張する人が色々観測されるので、まあまあ趣味が違うなと思ったのであった。