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日記だよ

小野不由美「緑の我が家」

ソノラマ、ホワイトハートと刊行されてきた作品ながら未読だった。角川版で読了。面白かった。

後書きにもあるけど携帯電話やインターネットのない時代の雰囲気があり、自分には懐かしさをもたらすエッセンスが、「スマホ以前」を知らない世代からするとずうっと昔の情景として映るだろうという、そういう不思議さはあるが、それはおいても日本の片隅の風景としてリアルすぎる。漫画「青野君に触りたいから死にたい」に通じるじっとりとしたホラー感があるし、向こう側の住人の平坦な苦しみが続く生に似た時を感じさせる薄寒さがある。

途中で主人公が内心で考える、「メリットとデメリットを比較して、自分でそれを選んで、デメリットを引き受けることを受け入れられない」「選択肢が限定されていて、そのどれを選んでもろくなことにはならない中で、どれかを選ばなければいけないんだけど、それが嫌で避けようとしている」「自分が他人に対して期待する一方的な気持ちは、同様に相手もまた自分に対して向けることが許されるだろう」という苦しさは幾つになっても突き刺さるよ。お前ぜったい高校生じゃないだろ。

やはり後書きで「等身大の高校生」というような言い方がある。だからどの世代にも刺さるんだろうと。これは異論がある。描かれているのはぜんぜん等身大ではないと思う。少なくとも自分にとっては。こうまで自分の周囲や世界に対して真剣に向き合えなかった、ちゃんとものを見て、聞いて、周囲とコミュニケーションできていなかった、そのような自分の目線がダブって参ってしまう。シチュエーションを我が身に置き換えることが可能という意味では等身大なのかもしれないが、そういうことなのか...?